阪神・淡路大震災からの復興を願う歌として、長年にわたり歌い継がれてきた「しあわせ運べるように」。
この曲を作詞・作曲したのが、神戸市の小学校で音楽教師を務めていた臼井真(うすい・まこと)さんです。
「しあわせ運べるように」は神戸だけでなく、福島や熊本、新潟県の山古志など、全国の被災地で歌われる希望の歌となりました。
そんな臼井真さんについて、
「結婚して嫁や子供はいるの?」
「どの小学校で教師をしていた?」
「これまでにどのような功績を残したの?」
と気になっている方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、
臼井真の嫁や子供などの家族構成を調査
臼井真の小学校教師時代と「しあわせ運べるように」の誕生
臼井真の全国の被災地へ広がった功績と大学教授としての活動
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
臼井真の嫁や子供などの家族構成を調査

臼井真さんの嫁や子供について調査しましたが、妻の名前や年齢、職業、子供の人数など、詳しい家族構成は公表されていないようです。
臼井さんは音楽教師や大学教授として数多くの取材を受けてきましたが、インタビューでは阪神・淡路大震災の体験や音楽教育、「しあわせ運べるように」に込めた思いを中心に語っていました。
そのため、結婚しているかどうかについても、広く確認できる公式な情報は見つかっていません。
臼井さんは芸能人ではなく、長年にわたって教育現場で働いてきた人物です。そのため、家族のプライバシーを守る目的で、妻や子供に関する情報を積極的に公表していなかった可能性があります。
また、阪神・淡路大震災が発生した当時、臼井さんは神戸市東灘区の自宅で被災しています。
臼井さんは震災当日の早朝、自宅1階で食事をした後に2階へ移動し、その直後に激しい揺れに襲われました。木造2階建ての自宅は1階部分が押しつぶされるような状態で全壊したといいます。
その後は神戸市灘区にある親類の家や、避難所となった勤務先の学校などで生活を続けました。臼井さん自身も、この時期を人生で最も過酷な日々だったと振り返っています。(大学生活協同組合)
この体験談の中でも妻や子供について具体的には触れられていないため、現時点では家族構成について断定することはできません。
臼井真さんの嫁や子供については、「非公表」とするのが最も正確な表現でしょう。
臼井真の小学校教師時代と「しあわせ運べるように」の誕生

臼井真さんは1960年、兵庫県神戸市に生まれました。
大阪芸術大学で声楽を学び、卒業後は神戸市立小学校の音楽教師として勤務します。公式プロフィールでも、神戸市内の小学校で音楽専科教諭を務めていたことが紹介されています。(幸せを運べるように)
臼井さんが音楽教師として働いていた1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。
当時勤務していたのは、神戸市中央区にあった神戸市立吾妻小学校です。同校はその後、中央小学校へ統合されています。
臼井さんの自宅も震災で全壊し、勤務先の小学校は避難所となりました。
避難所では救援物資の整理やトイレ掃除、電話対応などに追われ、音楽教師でありながら、歌や音楽から遠ざかる日々を送っていたといいます。
震災からおよそ2週間がたった頃、臼井さんはテレビで被災した神戸・三宮の様子を目にしました。
変わり果てた街の姿に大きな衝撃を受けた臼井さんは、復興への願いを歌にしようと考えます。そして、わずか10分ほどで「しあわせ運べるように」の歌詞を書き上げたと伝えられています。(ラジオ関西 JOCR 558KHz)
歌詞には、震災に負けない強い心を持つこと、亡くなった人々の分まで毎日を大切に生きること、支え合いながら神戸の街を再生していくことへの願いが込められました。
完成した曲は、勤務先の子供たちによって初めて歌われました。
当初は神戸の子供たちが復興への思いを歌う曲でしたが、次第に市内の小学校や追悼行事で歌われるようになります。
臼井さんはその後も、西灘小学校などで音楽専科教諭を務め、子供たちへの歌唱指導を続けました。(BE KOBE)
臼井さんにとって「しあわせ運べるように」は、単なる合唱曲ではありませんでした。
震災で亡くなった人々への祈りであると同時に、子供たちが命の大切さや支え合う心を学ぶための教育の歌でもあったのです。
臼井真の全国の被災地へ広がった功績と大学教授としての活動

「しあわせ運べるように」は、阪神・淡路大震災からの復興が進む中で、神戸を象徴する歌へと成長しました。
さらに、東日本大震災や熊本地震、新潟県中越地震などが発生すると、歌詞の一部をそれぞれの地域名に変え、全国の被災地で歌われるようになります。
福島では「神戸」を「ふくしま」に、熊本では「くまもと」に変えるなど、それぞれの地域の復興を願う歌として受け継がれました。
海外でも現地の言葉に翻訳され、災害や紛争で傷ついた人々を励ます歌として広がったとされています。
2021年には、「しあわせ運べるように」が神戸市の市歌に指定されました。
神戸市にはすでに市歌がありましたが、「しあわせ運べるように」は震災の記憶と復興の歩みを次世代へ伝える重要な曲として、2曲目の市歌に選ばれています。(神戸新聞)
臼井さんは、音楽を通じて平和の尊さや震災の教訓を伝えてきたことが評価され、2014年に神戸新聞平和賞を受賞しました。
また、2025年には兵庫県の名声を高めた人物に贈られる「県勢高揚功労」の表彰を受けています。
「しあわせ運べるように」が国内外で歌い継がれていることに加え、臼井さん自身が各地で歌唱指導や講演活動を続け、多くの人に感動を与えたことが評価されました。(youtube.com)
小学校を定年退職した後は、神戸親和大学教育学部の教授として教壇に立ちました。
大学では、教師を目指す学生たちに音楽教育を指導するとともに、自身の被災体験や「しあわせ運べるように」に込めた思いを伝えていました。(サンテレビ)
小学校の子供たちだけでなく、将来教育現場に立つ若者たちへ思いを託すことで、臼井さんの教育理念は次の世代へと受け継がれていったのです。
臼井真さんは2026年7月、65歳で亡くなりました。
関係者によると神戸市内で倒れ、その後、死亡が確認されたと報じられています。(神戸新聞)
突然の訃報に、臼井さんから指導を受けた人々や「しあわせ運べるように」を歌ってきた人々から、悲しみと感謝の声が寄せられました。
臼井さん本人は亡くなりましたが、その思いは歌を通じて今後も受け継がれていくことでしょう。
まとめ
今回は、臼井真さんの嫁や子供などの家族構成、小学校教師時代から現在までの功績について紹介しました。
臼井さんの妻や子供に関する詳しい情報は公表されておらず、結婚の有無を含めて、家族構成を断定できる資料は確認されていません。
一方で、音楽教師としての歩みや残した功績については、多くの記録が残されています。
臼井さんは大阪芸術大学を卒業後、神戸市立小学校の音楽教師として勤務しました。
1995年の阪神・淡路大震災では自宅が全壊する被害を受けながら、復興を願う「しあわせ運べるように」を作詞・作曲しています。
この歌は神戸の復興を象徴する曲となり、福島や熊本、新潟など全国の被災地へと広がりました。
2021年には神戸市歌に指定され、臼井さん自身も神戸新聞平和賞や兵庫県の県勢高揚功労を受けています。
小学校を退職した後も神戸親和大学教授として教育に携わり、震災の記憶や命の大切さを若い世代へ伝え続けました。
臼井真さんが残した「しあわせ運べるように」は、悲しみに寄り添うだけでなく、人と人が支え合い、未来へ歩き出すための希望の歌です。
これからも神戸をはじめ、全国の学校や被災地で歌い継がれ、臼井さんの思いを未来へ運び続けることでしょう。
それでは、ありがとうございました!

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