元おニャン子クラブのメンバーで、歌手やタレントとして活躍してきた新田恵利さん。
近年は、自身が経験した母親の在宅介護について積極的に発信しています。
新田恵利さんは、母・ひで子さんを6年半にわたって自宅で介護し、最期も家族とともに見送りました。
報道を見て、
「新田恵利さんの母親はいつ亡くなったの?」
「介護が始まったきっかけは何だった?」
「現在は介護経験をどのように生かしているの?」
と気になった方も多いのではないでしょうか。
新田恵利さんの母・ひで子さんが亡くなったのは、2021年3月23日です。92歳でした。(エキサイトウーマン)
この記事では、新田恵利さんと母親の関係、6年半にわたった在宅介護、そして看取りを経験した後の活動について紹介します。
新田恵利の母はいつ亡くなった?

新田恵利さんの母・ひで子さんは、2021年3月23日に92歳で亡くなりました。
約6年半にわたる介護生活の末、住み慣れた自宅で家族に見守られながら最期を迎えています。
ひで子さんが亡くなった当日の朝は、口で苦しそうに呼吸するなど、普段とは明らかに違う様子だったそうです。
それでも新田恵利さんは、夕方には帰宅できると考え、仕事へ向かおうとしていました。
しかし、夫が外出を止めたことで、新田恵利さんは母親のそばに残ることができました。
最期の瞬間には兄も立ち会い、家族でひで子さんを見送ることができたといいます。(家庭画報)
亡くなる直前、ひで子さんは閉じていた目を開け、新田恵利さんと兄の姿を確認した後、「あ」という声を3回発したそうです。
生前、ひで子さんは最期に「ありがとう」と伝えると話していたため、新田恵利さんは、その声を「ありがとう」の最初の言葉だったと受け止めています。
長期間にわたって母親の生活を支え続けた新田恵利さん。
看取った直後には深い悲しみだけでなく、長いマラソンを走り終えたような達成感もあったと振り返っています。
なお、ひで子さんの直接的な死因について、詳しい病名は公表されていません。
ただし、長年にわたって骨粗しょう症による圧迫骨折を繰り返し、寝たきりの状態や認知機能の低下が進んでいたことは明かされています。
母の在宅介護が始まったきっかけ

新田恵利さんの母親の介護が始まったのは、2014年秋ごろでした。
きっかけは、骨粗しょう症による圧迫骨折です。
ひで子さんは、それ以前にも圧迫骨折を経験していましたが、回復後は犬の散歩に出かけるなど、日常生活を送ることができていました。
ところが2014年の入院を境に、自力で立つことが難しくなり、寝たきりの状態になってしまったそうです。(介護ポストセブン)
数週間前まで歩いていた母親が突然動けなくなったため、新田恵利さんにとって介護生活の始まりは、まさに予想外の出来事でした。
介護に関する知識もほとんどない状態から、自宅での生活を支える日々が始まります。
母とは結婚後も一緒に暮らしていた
新田恵利さんと母・ひで子さんは、もともと非常に仲の良い母娘でした。
新田恵利さんが17歳で芸能界に入った年に父親が急死してからは、母娘で支え合うように生きてきたといいます。
そのため、新田恵利さんは結婚後も母親と暮らしたいと考え、2000年に新築した自宅へひで子さんを迎えました。
自宅は家族が近い距離で生活できる造りになっており、介護が必要になる前から日常的に顔を合わせていたようです。(介護ポストセブン)
母親は、単に世話をする対象ではなく、新田恵利さんにとって人生を支えてくれた大切な存在でした。
だからこそ、少しずつ会話が難しくなり、できないことが増えていく姿を見るのは、とてもつらかったと考えられます。
夫や兄と協力しながら介護を続けた
6年半の在宅介護は、新田恵利さん一人だけで行ったわけではありません。
兄や夫の協力に加え、訪問介護や医療関係者などの支えも受けながら、母親の生活を守ってきました。
新田恵利さん自身も、介護を続ける中で認知症サポーターや、おむつフィッター3級などの資格を取得しています。
分からないことをそのままにせず、必要な知識を学びながら母親と向き合っていたことが分かります。(家庭画報)
また、新田恵利さんは、介護をしていることを周囲に積極的に伝える「言いふらし介護」を提唱しています。
介護の苦しさや困っていることは、本人が言葉にしなければ周囲に伝わりません。
家族だけで抱え込まず、友人や仕事関係者にも状況を知ってもらうことで、助けを求めやすい環境を作ることが重要だと訴えています。(文化放送)
看取り後の悲しみが温かな記憶に変わるまで

母・ひで子さんを看取った後、新田恵利さんは大きな喪失感に襲われました。
部屋から介護用ベッドがなくなり、何もない空間を見るたびに、母親がいなくなった現実を感じたそうです。
遺品整理をしていると、おニャン子クラブ時代の大入り袋や、会員番号の「4」が書かれたTシャツも見つかりました。
それらは、母親が娘の芸能活動をずっと大切に見守っていたことを物語る品でした。(エキサイトウーマン)
亡くなってからしばらくは、新玉ねぎの季節やカレーの味など、何気ない日常の出来事が母親の記憶につながり、突然涙が出ることもあったといいます。
しかし、時間が経過するにつれて、別れの悲しみだけでなく、一緒に過ごした楽しい時間や母親の笑顔を思い出せるようになりました。
6年半の介護をやり切り、自宅で見送ることができたという実感が、新田恵利さんの心を少しずつ前へ進ませたのでしょう。
介護経験を本や講演で発信
新田恵利さんは、2021年9月に自身の介護経験をまとめた著書『悔いなし介護』を出版しました。
タイトルのとおり、新田恵利さんは母親の介護について、大変なことは多かったものの、やり残したという後悔はほとんどないと話しています。
一方で、母親の銀行口座や印鑑の場所など、亡くなった後の手続きに必要な情報を詳しく確認していなかったことは、心残りの一つだったそうです。(女性セブンプラス)
介護は、身体的な世話だけで終わるものではありません。
預貯金、保険、葬儀、本人が希望する最期の過ごし方などについても、元気なうちに家族で話し合っておく必要があります。
新田恵利さんの経験は、親の介護をまだ現実のこととして考えていない世代にも、大きな気づきを与えています。
「過去書こノート」で親の人生を知る
新田恵利さんは、自身の経験を生かし、「KAKO KAKO(過去書こ)ノート」の活動にも取り組んでいます。
これは、一般的なエンディングノートのように財産や葬儀の希望だけを記録するものではありません。
子どものころのあだ名、好きだった教科、初恋の人、若いころの思い出など、質問に答えながら自分の半生を振り返る内容になっています。
新田恵利さんは、認知症が進んだ母親に少しでも書くことを続けてもらいたいと考え、試行錯誤する中で、このノートの形にたどり着いたそうです。
仲の良い親子であっても、親が自分と同じ年齢だったころに何を考え、どのような人生を送っていたのか、意外と知らないものです。
親が元気なうちに昔の話を聞いておくことは、本人にとっても家族にとっても、かけがえのない記録になるでしょう。
新田恵利さんは2023年から淑徳大学総合福祉学部の客員教授を務め、高齢者介護に関する授業も担当しています。大学の教員紹介ページにも、現在の客員教授として掲載されています。(U-Press Center)
母親との6年半は、悲しい別れで終わっただけではありません。
その経験は現在、介護に不安を抱える人や、これから親の老いと向き合う人を支える活動へとつながっています。
まとめ
今回は、新田恵利さんの母親が亡くなった時期や、6年半にわたる在宅介護について紹介しました。
新田恵利さんの母・ひで子さんは、2021年3月23日に92歳で亡くなりました。
2014年秋、骨粗しょう症による圧迫骨折をきっかけに寝たきりとなり、そこから約6年半にわたる在宅介護が始まっています。
新田恵利さんは夫や兄、介護・医療関係者と協力しながら母親を支え、最期も住み慣れた自宅で見送ることができました。
看取り直後には悲しみと同時に、長いマラソンを完走したような達成感もあったといいます。
母親を亡くしてからは、日常の何気ない場面で涙が出る時期もありましたが、時間とともに悲しみは温かな思い出へ変わっていきました。
現在の新田恵利さんは、著書や講演、大学での授業、「過去書こノート」などを通じて、自身の介護経験を多くの人へ伝えています。
親の介護は、ある日突然始まる可能性があります。
元気なうちに親の過去や希望を聞き、家族で少しずつ話し合っておくことが、将来の後悔を減らす大切な準備になるのではないでしょうか。
それでは、ありがとうございました!

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