俳優の中村雅俊さん(75)の妻であり、俳優や実業家として多方面で活躍された五十嵐淳子さんが、73歳で急逝されたことが報じられました。
三女でモデルの中村里砂さんがSNSで出した声明には、あまりに突然の別れに対する深い悲しみと、母への敬愛の念が綴られています。
中村さんの事務所の発表によると、五十嵐さんは急病のため亡くなられたとのことで、長年連れ添った最愛の伴侶を失った中村さんは「俺の人生最大のラッキーは妻と出会ったことでした」と、断腸の思いをコメントしています。
今回は、中村雅俊さんと五十嵐淳子さんが築いてきた「理想の夫婦」の裏側にある献身的な歩みや、家族の絆について改めてまとめました。
そこで今回は、
中村雅俊の妻との理想の夫婦として歩んだ40余年
中村雅俊の4人の子供たちと三女・中村里砂さんの活躍
中村雅俊の妻との突然の別れに直面した家族の絆
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
中村雅俊の妻との理想の夫婦として歩んだ40余年

中村雅俊さんと五十嵐淳子さんは、1975年のドラマ『俺たちの勲章』での共演をきっかけに、中村さんの一目惚れから交際が始まりました。
1977年、中村さんが26歳、五十嵐淳子さんが24歳の時に結婚。
当時、五十嵐淳子さんはすでに妊娠5か月で、いわゆる「授かり婚」であったことも明かされています。
人気絶頂の中での若すぎる結婚に周囲の反対もありましたが、几帳面な五十嵐淳子さんと自然体の中村さんは互いを補い合う最高のパートナーでした。
それ以来、45年以上にわたり一度も不仲説が流れることなく、常に寄り添い合ってきた姿は、芸能界を代表する「おしどり夫婦」の象徴でした。
中村雅俊の妻との間の4人の子供たちと三女・中村里砂さんの活躍

五十嵐淳子さんは結婚後、一時は育児のために芸能界を離れましたが、1988年に俳優業へ復帰しました。
しかし、その生活は想像を絶するほど多忙なものでした。
4人の子供と中村雅俊さんの実母を合わせた大所帯を切り盛りするため、毎朝5時に起きてお弁当を作り、家事を完璧にこなしてから仕事に向かう毎日を送り、学校行事にも必ず顔を出していたといいます。
また、五十嵐淳子さんは中村雅俊さんの個人事務所の代表取締役も務め、公私ともに夫を支え続けました。
中村淳子さんが帰宅した際には「仕事のにおい」を消してくつろげるよう、読んでいた台本をサッと隠して夕飯の支度を始めるなど、細やかな気遣いを欠かさない「良妻賢母」そのものでした。
中村雅俊さんと五十嵐淳子さんの間には、1男3女の計4人のお子さんがいます。
中村雅俊の妻との突然の別れに直面した家族の絆

育児が一段落した1999年、五十嵐淳子さんは「いつか自分のお店を持ちたい」という昔からの夢を叶え、都内にカフェ付きのフラワーショップ「パストーン」をオープンさせました。
自ら店頭に立って接客をし、中村雅俊さんも客を連れて店を訪れるなど、夫婦で互いの活動を尊重し合う関係は最後まで変わりませんでした。
そんな両親の背中を見て育った4人のお子さんたち(1男3女)も、それぞれの道を歩んでいます。
三女の中村里砂さんはモデル・タレントとしてカリスマ的な人気を誇り、長男の中村俊太さんもかつて俳優として活動するなど、芸能一家としても知られています。
里砂さんの声明にある「母の存在の大きさ」という言葉からは、仕事に家事に全力で向き合ってきた五十嵐さんの深い愛情が、しっかりと子供たちに受け継がれていることが伝わってきます。
まとめ
中村雅俊さんと五十嵐淳子さんが築き上げた家庭は、互いを尊重し、どんなに忙しくても家族への愛を絶やさない温かさに満ちたものでした。
五十嵐さんの突然の旅立ちは非常に残念でなりませんが、彼女が遺した「家族を支え抜く強さと優しさ」は、これからも中村さんや子供たちの中に生き続けていくことでしょう。
今はただ、五十嵐淳子さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、残されたご家族が少しでも穏やかに過ごせることを願うばかりです。
それでは、ありがとうございました!

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