西村誠司の若い頃|空の給食袋と葬儀アルバイトの極貧生活から資産300億への逆転劇

テレビCMでもおなじみの「にしたんクリニック」などを運営する、エクスコムグローバル株式会社の西村誠司社長。

個人資産300億円とも言われる圧倒的な成功を収めている実業家ですが、実はそのルーツには、想像を絶する「極貧の幼少期」がありました。

「空の給食袋」を配られた多感な時期の屈辱や、大学時代の壮絶なアルバイト経験など、現在の成功の原動力となった西村氏の知られざる若い頃のエピソードを徹底解説します。

そこで今回は、

西村誠司の若い頃の名古屋で生まれた幼少期と生活保護の過酷な現実

西村誠司の若い頃の忘れることのできない「空の給食袋」の恥ずかしさと怒り

西村誠司の若い頃のの「葬儀場」でのアルバイト

西村誠司の若い頃の「死」の記憶から「命を生み出す」ビジネスへの大逆転

4つの観点から迫ってきます。

それでは、早速本題に入っていきましょう。

目次

西村誠司の若い頃の名古屋で生まれた幼少期と生活保護の過酷な現実

西村誠司氏は愛知県名古屋市に生まれました。

実家は小さな焼き鳥屋を営んでいましたが、父親が病気に倒れたことをきっかけに生活は一変

一家は生活保護を受けるまでに困窮し、過酷な極貧生活が始まりました。

周囲の助けを期待できない環境の中、中学生(12〜13歳)になった西村少年は、生活費を自分で稼ぐために新聞配達のアルバイトを始めます。

1月や2月の凍えるような雪の日も、自転車のサドルやカゴに積もった雪を払って配達をスタートし、配達後に一度帰宅して二度寝をしてから学校へ通う毎日。

当時を振り返り、西村氏は「自分しか頼るものがないという感覚だった」と語っています。

「欲しいものがあれば自分の体を使って稼いで買う」という、ビジネスパーソンとしての冷徹なまでの現実感覚は、この多感な時期に体を張って身につけたものでした。

西村誠司の若い頃の忘れることのできない「空の給食袋」の恥ずかしさと怒り

極貧生活は、学校生活のあらゆる場面で西村少年の心に深い傷を残しました。

その最たるものが、今も胸に刻まれているという「給食費」にまつわるエピソードです。

ある日、クラスで西村氏の机にだけ給食袋が配られませんでした。

理由は、家計が困窮し給食費が支払えなかったためです。

その事実を知った母親は、学校側へある苦渋の願い出をします。

「うちの息子に、袋だけ空(から)の状態で出すから配ってほしい」

周囲の目を気にする多感な時期の男の子にとって、クラスメイトの前で「中身のない空の袋」を配られることは、言葉にできないほどの恥ずかしさと屈辱でした。

「余計に傷ついた」と当時を振り返る西村氏ですが、この時に味わった底知れぬ恥ずかしさと怒りこそが、後に「絶対に稼いでどん底から這い上がってやる」という執念の炎を燃やす最大の糧となったのです。

西村誠司の若い頃のの「葬儀場」でのアルバイト

高校時代の日雇い労働を経て、自宅から最も近い公立の名古屋市立大学へ進学した西村誠司氏。

大学時代には、その後の人生観を180度変える風変わりなアルバイトに出会います。

当初は「結婚式場のバイト」だと思って面接に向かったものの、手違いで案内されたのはなんと「葬儀部」でした

しかし西村氏はこれも何かの縁だと割り切り、そのまま葬儀場でのアルバイトを開始。

結果として、大学生活の4年間で約800人もの遺体を見送ることになりました

現場では、身寄りのない孤独な葬儀から、数千人が参列する盛大な社葬まで、あらゆる「人生の終着点」を目の当たりにします。

「人間は生まれた時は皆同じ裸の赤ちゃん。

しかし何十年か経って死ぬ時、これほどまでに生き様の『差』がつくのだ」という冷酷な現実。

そして、突然の事故で命を落とす理不尽さを前に、「人間は簡単に死んでしまう。だからこそ、与えられた人生は一生懸命に生き抜かなければならない」という強い誓いが、西村氏の中に刻まれました

西村誠司の若い頃の「死」の記憶から「命を生み出す」ビジネスへの大逆転

青年時代に葬儀の現場で「死」と徹底的に向き合ってきた西村誠司氏。

驚くべきことに、現在彼が大きな情熱を注いでいる事業の一つが、不妊治療専門の「にしたんARTクリニック」の運営です。

かつて人の死を見送っていた実業家が、現在は「新しい命をこの世に生み出す」ためのサポートを行っているという対比は、非常にドラマチックです。

西村氏は、自身の葬儀(お別れ会)について、ある理想のイメージを語っています。

「自分が死んだ時に、会ったこともない方がお葬式に来てくれて、『西村社長のおかげで私は生まれました』と感謝してくれるような、そんな見ず知らずの人がお別れ会に来てくれないかな」

社内で出会って結婚した社員に「僕が起業していなかったら君たちの子どもは生まれていなかった」と冗談交じりに話すエピソードからも、自分のビジネスが次の世代の命を紡いでいることへの深い誇りが感じられます。

まとめ

西村誠司氏の現在の丁寧な姿勢(来客のために社長自らがLINEで細かく写真案内を送るほどの気配り)や、画期的なビジネスアイデアの源泉は、すべて「相手の立場に立つ」という幼少期からのサバイバル能力にあります。

生活保護や空の給食袋という「どん底の悔しさ」を燃料にし、葬儀場で見つめた「命の重み」を羅針盤にして走り続けた結果が、現在の資産300億円という大逆転劇に繋がりました。

私たちが彼の生き様から学べるのは、どんなに不遇な環境にあっても、それを「怒り」や「恥ずかしさ」だけで終わらせず、自らの手で未来を切り開くエネルギーへと昇華させることの大切さではないでしょうか。

それでは、ありがとうございました!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA

目次