岸本良久氏(きしもと よしひさ、1961年9月17日 – 2026年4月2日)は、日本を代表するゲームデザイナーのひとりであり、株式会社プロフェット代表取締役社長を務めた人物だ。
2026年4月、その訃報が広まるや、ゲーム業界のクリエイターやファンから追悼の声が相次いだ。
「くにおくん」や「ダブルドラゴン」を遊んだことのある世代には、忘れることのできない名前である。
本記事では、岸本良久氏のこれまでの歩みと功績を改めて振り返っていきたい。
そこで今回は、
岸本良久の学歴や経歴の中でのデータイースト時代
岸本良久の学歴や経歴の中でのテクノスジャパン時代
岸本良久の学歴や経歴の中でのフリーランスから株式会社プロフェット設立へ
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
岸本良久の学歴や経歴の中でのデータイースト時代

岸本良久氏は1980年代初頭から、データイースト株式会社にてアーケードゲームの開発に従事した。
当時のアーケードゲーム市場は黎明期を過ぎ、技術革新が著しいタイミングでもあった。
データイースト時代の代表作は、1980年代半ばに流行したアーケード用レーザーディスクゲームの『サンダーストーム』(1983年)と『ロードブラスター』(1984年)だ。
どちらも映像を活かした臨場感あふれる演出が話題となり、アーケードゲームの可能性を広げた作品として知られている。
まだ20代前半という若さで、すでにディレクターとして作品を世に送り出していたことは驚嘆に値する。
この時代の経験が、後の岸本氏の「ゲームで世界を動かす」という創作姿勢の土台を形成したと言えるだろう。
岸本良久の学歴や経歴の中でのテクノスジャパン時代

データイーストを経て移籍したテクノスジャパンにて、岸本良久氏はその名を歴史に刻む作品群を世に放つことになる。
テクノスジャパン時代の代表作は、『熱血硬派くにおくん』を始めとした「くにおくんシリーズ」、「ダブルドラゴンシリーズ」等だ。
そして注目すべきエピソードとして、岸本自身が高校時代は不良であり、暴走族でもあったことが「くにおくんシリーズ」の企画につながったとされている。
自らの体験をゲームの世界に落とし込むという手法は、当時としても異色であり、作品のリアリティと熱量の源泉となった。
『熱血硬派くにおくん』と『ダブルドラゴン』では、コンピュータゲームの中でもベルトスクロールアクションゲームと呼ばれるゲームジャンルを確立させた。
このジャンルはその後、国内外の多くのメーカーに影響を与え、アクションゲームの一大カテゴリとして定着することとなる。
岸本氏はまさにそのジャンルの「生みの親」といっても過言ではない。
岸本良久の学歴や経歴の中でのフリーランスから株式会社プロフェット設立へ

テクノスジャパン退社後、岸本氏はフリーランスとして活動の幅をさらに広げていく。
フリーランス時代には、携帯電話向けやブラウザゲームとして、パズルゲームや占いゲーム、ボードゲーム等を手がけ、コンシューマーゲーム機向けには『SIMPLE1500シリーズ Vol.28 THE ダンジョンRPG』や『ローグハーツダンジョン』といったローグライクゲームなどをプロデュースした。
ハードやプラットフォームの変化に柔軟に対応しながら、常に新しい遊びの形を模索し続けた姿勢は、ベテランクリエイターとして高く評価されている。
2010年には株式会社プロフェットを設立。
その後も2017年には『ダブルドラゴンIV』のディレクターを務めるなど、原点たる作品への愛着を持ち続けながら精力的に活動を続けた。
フランスの出版社からは自伝「エンター・ザ・ダブルドラゴン」が刊行されるなど、日本のみならず海外のゲームファンからも長年にわたって愛され続けた存在だった。
まとめ
岸本良久氏は2026年4月2日に逝去された。
データイーストでの黎明期から、テクノスジャパンでの「くにおくん」「ダブルドラゴン」による金字塔、そしてフリーランス・株式会社プロフェットとしての多彩なプロデュース活動まで、約40年にわたって日本のゲーム史を彩り続けた。
高校時代の自らの不良体験をゲームの世界に昇華させ、ベルトスクロールアクションという一大ジャンルを生み出した岸本氏の創造力と情熱は、今も世界中のゲームファンの記憶の中に生き続けている。
あらためて、その偉大な功績に敬意を表したい。
それでは、ありがとうございました!

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