俳優としてドラマや映画、舞台、バラエティ番組など幅広く活躍している高橋克実さん。
明るいキャラクターと親しみやすい雰囲気で知られていますが、若い頃は意外にも、実家の家業を継ぐことから逃れるために新潟から東京へ出てきたという過去がありました。
2026年8月15日放送のテレビ大阪「大阪おっさんぽ」では、大学進学を口実に上京し、予備校に2年間通ったものの、最終的には大学へ進学しなかったというエピソードを明かしています。
番組公式サイトでも、高校卒業後に上京し「二浪を経験した」と紹介されています。(クラブTVO|テレビ大阪公式サイト)
さらに高橋克実さんの実家は、新潟県三条市で金物店を営んでいたことも本人がたびたび語っています。
現在の人気俳優・高橋克実さんからは想像できないような、少し遠回りした青春時代があったようです。
そこで今回は、
高橋克実の実家は新潟県三条市の金物店
高橋克実が家業を継ぐのが嫌で上京した理由
高橋克実の若い頃と俳優としてブレイクするまで
この3つの観点から詳しく見ていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
高橋克実の実家は新潟県三条市の金物店

高橋克実さんは、1961年4月1日生まれ、新潟県三条市出身です。
三条市の公式発表によると、高橋さんは新潟県立三条東高等学校を卒業するまで三条市で過ごしており、2022年には三条市初のPRアンバサダーにも就任しています。(プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES)
そんな高橋克実さんの実家が営んでいたのが、金物店でした。
2026年4月に出演した「徹子の部屋」でも、高橋さん本人が三条市の「金物屋の息子だった」と明かし、両親は将来的に息子が店を継ぐことを期待していたと振り返っています。(スポーツニッポン)
三条市といえば、金属加工や刃物、工具など「ものづくりの街」として知られる地域です。三条市自身も、スノーピークやキャプテンスタッグなど地域にゆかりのあるメーカーを紹介しており、高橋さんが金物店の家庭で育ったという話は、三条市という土地柄ともつながりを感じさせます。(プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES)
両親からすれば、息子が店を継ぎ、家業を守っていく未来を思い描いていたのでしょう。
しかし、高橋克実さん自身は違いました。
若い頃から東京への強い憧れを持っており、実家の金物店をそのまま継ぐ人生には気持ちが向かなかったようです。
この「家業を継ぎたくない」という思いが、その後の人生を大きく変えることになります。
高橋克実は家業を継ぐのが嫌で上京
高橋克実さんが東京へ出るきっかけとなったのが、大学受験でした。
2026年8月放送の「大阪おっさんぽ」で、高橋さんは高校3年の秋ごろに「東京へ出るための理由」として受験を申し出たことを明かしました。
高校卒業後は東京の予備校へ通い、二浪を経験しています。
テレビ大阪の番組紹介でも、高橋さんについて「高校を卒業してすぐ上京し、二浪を経験」と紹介されています。(クラブTVO|テレビ大阪公式サイト)
ただし、本当の目的は単に大学へ進学することだけではなかったようです。
過去のインタビューでも高橋さんは、実家の金物屋を継ぐことから逃れたくて上京したと語っています。
さらに、大学受験を口実に東京へ出たものの、予備校にはあまり通わず、好きだったドラマのロケ地巡りなどをしていた時期もあったそうです。(再生会)
「太陽にほえろ!」などのテレビドラマや映画が好きだった高橋さんにとって、東京は憧れの場所だったのでしょう。
予備校生活を2年間送った高橋さんは、2026年8月の番組で、2年もいたことで「大学に行った気持ち」になり、進学するのをやめたという趣旨のエピソードも披露しました。
かなり大胆な選択ですが、結果的にはこの上京が俳優・高橋克実を生み出す第一歩になったわけです。
一方で、実家との関係は決して順調だったわけではありません。
高橋さんは予備校時代、親からの仕送りを受けながら生活していましたが、やがてコレクトコールをしても電話に出てもらえなくなったと過去のインタビューで振り返っています。(テレビ朝日 Post)
2026年8月の番組でも「半ば勘当」のような状態だったと語っており、家業を継いでほしかった両親との間には相当な葛藤があったことがうかがえます。
高橋克実の若い頃は苦労続き!遅咲き俳優としてブレイク
上京した高橋克実さんですが、最初から俳優になるという明確な目標があったわけではなかったようです。
実家の金物店を継ぎたくないという気持ちや東京への憧れから上京し、その後、小劇場での活動を経て俳優の道へ進んでいきました。
三条市のプロフィールでも、小劇場での活動を経て、ドラマ、映画、舞台、司会、ナレーションなど幅広い分野で活動するようになった経歴が紹介されています。(プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES)
しかし、俳優だけで生活できるようになるまでには長い時間がかかりました。
高橋さんが広く知られる大きなきっかけとなったのが、1998年に放送されたフジテレビ系ドラマ「ショムニ」です。
36歳ごろに同作品で注目されるようになりましたが、本人によると「ショムニ」出演当時もアルバイトを続けており、38歳ごろまでアルバイト生活をしていたといいます。(デイリースポーツ)
若い頃から順風満帆だったわけではなく、かなり長い下積み時代を経験していたのです。
一方で、高橋さんは俳優・田山涼成さんとの舞台共演をきっかけに現在の所属事務所につながったことについて、「人との出会いやタイミング」の大切さを語っています。(再生会)
実家の金物店を継いでいれば、現在とはまったく違う人生になっていた可能性があります。
家業を継ぐのが嫌で東京へ出て、予備校生活を送り、アルバイトをしながら芝居を続ける。
一見すると遠回りにも見える人生ですが、そのすべてが現在の高橋克実さんにつながっているのでしょう。
まとめ
今回は、**「高橋克実の実家は新潟の金物店!家業を継ぐのが嫌で上京した若い頃を調査」**と題して、高橋克実さんの実家や家業、上京した理由、若い頃についてご紹介しました。
高橋克実さんは新潟県三条市出身で、実家は金物店を営んでいました。両親は息子に家業を継いでほしいと考えていましたが、高橋さん本人は東京への憧れが強く、大学受験を口実に上京します。(スポーツニッポン)
その後、予備校生活やアルバイト、小劇場での下積みを経験し、30代後半になって「ショムニ」で大きくブレイクしました。(デイリースポーツ)
「実家の金物店を継ぎたくない」という若者らしい思いから始まった上京が、結果的には俳優としての人生につながったことになります。
現在ではドラマや映画、舞台だけでなく司会やナレーションなどでも活躍し、故郷・三条市のPRアンバサダーも務めている高橋克実さん。(プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES)
若い頃に故郷を飛び出した高橋さんが、長い年月を経て三条市の魅力を伝える立場になっているというのも、とても興味深いですね。
これからも高橋克実さんがどのような作品で私たちを楽しませてくれるのか、その活躍に注目していきたいと思います。
それでは、ありがとうございました!

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