1970年代に日本中を熱狂させた女性デュオ「ピンク・レディー」。
その圧倒的なパフォーマンスと魅力的な楽曲は、今なお世代を超えて語り継がれています。
そんなグループの一員である未唯mieさん(67)が、フジテレビ系「ノンストップ!」に出演し、当時の凄まじい人気ぶりと、想像を絶する多忙な日々を明かしました。
「押されて帰れない」「家に帰れずホテルに住む」「ヘリコプターで移動」など、現代ではほぼ見られない昭和トップアイドル時代ならではのエピソードが満載。
今回は、未唯mieさんが語った“昭和アイドルの壮絶スケジュール”を振り返り、その裏に隠された苦労とプロとしての矜持に迫ります。
そこで今回は、
未唯mieが振り返る下宿を追い出される日々
未唯mieが振り返る15本スケジュールの毎日
未唯mieが振り返るヘリコプター移動という異例の待遇
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
未唯mieが振り返る下宿を追い出される日々

人気絶頂だったピンク・レディーは、常に熱狂的なファンに囲まれる毎日を過ごしていました。
番組で未唯mieさんは、テレビ局を出る際に「車に乗り込もうとすると、すごく押されてなかなか出発できない」と当時を回想しています。
ファンが後ろからバイクで追いかけてくるなど、今では想像できないほどの熱気だったといいます。
その熱狂は私生活にも影響。
元々住んでいた下宿の周りには、常に多くのファンがたむろし、ジュースの缶などが散乱するような状況に。
最終的には「下宿を追い出されてしまった」と明かし、行く場所を失った未唯さんは、なんと2年間もの間をホテルで生活することになりました。
同じホテルに部屋を借りるファンもいたほどで、「昭和アイドルの人気は異次元」と改めて感じさせられるエピソードです。
未唯mieが振り返る15本スケジュールの毎日

多忙さは“住む場所”だけではありませんでした。
当時の未唯mieさんは、寝る間もないほどの過密スケジュールをこなしていたといいます。
彼女は「前日に明日の仕事が書いてあるメモを渡されるんですけど、そこには15個ぐらい仕事が書いてあるんです」と語り、まさに分刻みのハードワークだったことが浮かび上がります。
テレビ、ラジオ、雑誌取材、レコーディング、リハーサル、コンサート…。人気絶頂期のアイドルは、それらを一日に何本もこなすのが当たり前。
さらに移動時間もほとんど休息に使えないほどぎっしりで、まさに“車内が休憩場所”という状態だったのです。
現代のエンタメ業界では考えられない働き方ですが、それこそが 「昭和のトップアイドル」 という存在の象徴でした。
未唯mieが振り返るヘリコプター移動という異例の待遇

忙しさは移動手段にも表れていました。
未唯mieさんは「ヘリコプターで移動したこともあった」と語り、視聴者を驚かせました。
東北地方でコンサートを終えた後、東京で待ち受けるテレビ生放送に間に合わせるため、ヘリを使って移動したという破格のスケジュール。
通常の交通手段では間に合わないために選ばれた“緊急措置”だったそうですが、これも人気の高さゆえの特別対応といえるでしょう。
ヘリ移動というと贅沢なイメージもありますが、その裏側には 「時間さえあればもう少し休めたのに」 という過密スケジュールの実情が隠れていたはずです。
ファンの笑顔のため、全国を駆け回った未唯さんのプロ意識の高さが伝わるエピソードです。
まとめ
未唯mieさんが語ったエピソードから、昭和アイドル時代の過酷さと、当時のファンの熱狂ぶりが生々しく伝わってきます。
- 押されて帰れないほどの人気
- 下宿を追い出され、2年間のホテル住まい
- 仕事は1日15本の超多忙ぶり
- 東北から東京へヘリコプター移動
- それでもステージに立ち続けたプロ根性
華やかなステージの裏には、壮絶な努力と葛藤があり、それでも輝き続けた未唯mieさんのプロ意識に改めて敬意を抱かずにはいられません。
現代のファンにも、当時のアイドルを支えた情熱や強さが改めて伝わる内容でした。
昭和のトップアイドルとして、ピンク・レディーが残した功績は今も色褪せず、多くの人の心に刻まれ続けています。
それでは、ありがとうございました!

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