テレビ東京の人気キャスターとして長年親しまれてきた大江麻理子さん。
知的で落ち着いた語り口と柔らかな笑顔で、多くの視聴者を惹きつけてきました。
そんな大江さんの原点とも言えるのが、福岡県豊前市にあるご実家と、そこで育んだ家族との絆です。
。実は彼女の家系には、地元で名士と呼ばれるほどの由緒ある背景がありました。
今回は、大江麻理子さんのご両親との関係を中心に、曽祖父から続く家系の物語に迫ってみましょう。
そこで今回は、
大江麻理子の父・大江俊良さんは地元名士の実業家
大江麻理子の母との別れに涙…深い愛情と教育方針
大江麻理子の弟と家族構成、そして育まれた価値観
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
大江麻理子の父・大江俊良さんは地元名士の実業家

大江麻理子さんの父親は、大江俊良(としよし)さん。
地元福岡県豊前市で「築上印刷有限会社」の代表取締役を務める実業家です。
明治45年創業という老舗企業を引き継ぎ、現在も年商約4億円という堅実な経営を続けています。
また、父・俊良さんの家系も地元ではよく知られた存在で、曽祖父・大江俊明氏は「築上新聞」や「築上産業新聞」の創刊者。
1929年(昭和4)には「築上新聞」(当初月2回その後月3回発行)を創刊しますが、地域の様々な記事を大江自らが論説する一方、岡為造、辛島並明、岡山喜久郎ら郷土史家による文化面が話題を呼んだといいます。
出典:備前市ホームページ
20年以上にわたり、自らペンを執って地域に貢献してきたジャーナリストでもありました。
このような背景から、大江家は代々「言葉」や「伝える力」を大切にしてきたことがうかがえます。
そして何より印象的なのは、麻理子さんとの深い親子関係。
2007年に彼女が骨髄バンクに登録した際、俊良さんは「自分も年齢制限で登録できなかったからこそ、娘が継いでくれて嬉しい」と語り、深い思いを寄せていたといいます。
大江麻理子の母との別れに涙…深い愛情と教育方針

大江さんの母親は一般人で、詳しいお名前は公表されていませんが、父より10歳年下の優しい女性だといわれています。
大江さんとはとても仲が良く、親子の愛情深いエピソードが多く語られています。
特に印象的なのが、麻理子さんが大学進学で福岡から上京した際のエピソードです。
横浜駅での別れ際、母は車内で静かに涙を流し、それを見た大江さんもホームで号泣。
その後も自由が丘の下宿先に着くまで、彼女は電車の中で泣き続けたといいます。
横浜駅でお別れしたのですが、
出典:アド街ック天国大江麻理子出没日記
電車の中で母が泣き始めて。。。
私も大泣きしながら駅の構内を歩きました。
一方で、母親は「若いうちに実家を離れて一人暮らしを経験した方がいい」と、麻理子さんの上京を後押ししました。
単なる感情に流されず、娘の将来を見据えた賢明な判断からは、深い愛情と教育的信念が感じられます。
大江麻理子の弟と家族構成、そして育まれた価値観

大江麻理子さんの家族構成は、両親・本人・弟の4人家族。
弟については詳細は明かされていませんが、大江さんはかつて「弟を見ていても九州男児が勇ましいとは思わない」と語っており、優しく穏やかな性格のようです。
小学生の頃から、麻理子さんは特急電車で30分以上かけて小倉の塾に通うなど、教育熱心な家庭で育ちました。
豊かな家庭環境と、地域に根ざした家業を持つ大江家に生まれたことで、彼女は自然と「社会に貢献すること」や「言葉の力の大切さ」を学んでいったのでしょう。
このような背景が、後にジャーナリズムの道を志すうえでの土台になっていったのは間違いありません。
曽祖父の新聞発行、父の印刷業、そして自身のキャスター業。3代にわたる“伝える”という使命が、家族の中で脈々と受け継がれているように感じられます。
まとめ
大江麻理子さんが築き上げたキャリアと信頼の背景には、地元・福岡で支え続けてくれたご両親の存在と、家系に受け継がれる価値観がありました。
優しくも芯のある父、愛情深く見守る母、穏やかな弟。
そして曽祖父が残した地域への思いと表現の力。
華やかなテレビの世界で活躍する彼女の姿には、そんな温かくも誇り高い家族の物語が、静かに息づいているのです。
それでは、ありがとうごうざいました!
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