NHKアナウンサーとして
「プロフェッショナル 仕事の流儀」や「紅白歌合戦」の司会を務め、華やかなキャリアを歩んできた住吉美紀さん。
そんな彼女が42歳で挑んだのは、誰もが口にしづらい「不妊治療」でした。
採卵21回、人工授精7回という過酷な挑戦。
結果は望んだ通りにはいきませんでしたが、50歳を迎えた今、住吉さんは穏やかな笑顔でこう語ります。
「授からなかったけれど、私はようやく“自分らしさ”を取り戻せた気がします。」
仕事、孤独、そして不妊治療――。
それらを経て見つけた“生きる力”とは何だったのでしょうか。
そこで今回は、
住吉美紀のNHK退職と孤独
住吉美紀の42歳の不妊治療
住吉美紀の50歳の棚卸し
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
住吉美紀のNHK退職と孤独

住吉美紀さんは国際基督教大学(ICU)を卒業後、1996年にNHKへ入局。
知性と柔らかな語り口で人気を集め、「プロフェッショナル 仕事の流儀」など数々の番組を担当しました。
しかし2011年、安定した職を手放し、フリーアナウンサーとして独立します。
ところが、その決断の先に待っていたのは「孤独」でした。
毎日顔を合わせていた同僚もいなくなり、相談できる人も減った。
「自営業ってこんなに孤独なんだ」と実感したとき、心の奥から湧き上がったのが――「家族が欲しい」「誰かと生きていきたい」という想いでした。
それが、不妊治療への第一歩となります。
住吉美紀の42歳の不妊治療

42歳で始めた不妊治療。
住吉さんは夫と話し合い、「自然妊娠を待つより、できることをやろう」と決意しました。
そこから始まったのは、想像を超える長い戦い。
採卵21回、人工授精7回――。
結果が出ないたびに「またか」とため息をつく日々が続きました。
体への痛みだけでなく、心の痛みも深かったといいます。
「もう生き物としての力がないのでは」と感じ、「仕事ばかりしてきた自分がいけなかった」と自己否定に陥ることも。
しかし、そんな中で夫と共有した時間が、彼女の心を少しずつ変えていきます。
「つらい気持ちを共有し、一緒に分かち合えたことで、夫婦の絆が深まった」――。
結果は出なくても、“一緒に歩む”という確かな愛情がそこにありました。
住吉美紀の50歳の棚卸し

2024年、50歳を迎えた住吉美紀さんは、著書『50歳の棚卸し』(講談社)を出版しました。
テーマは、これまでの人生を「失敗ではなく、全部必要な道だった」と捉え直すこと。
「不妊治療も、孤独も、全部“私の人生”なんです。
それがあったから、今こうして自分を肯定できる。」
授からなかったことを「無駄」ではなく「経験」として受け止め、そこから「人の痛みを理解できる自分」へと変わっていった。
今はラジオ番組「Blue Ocean」で、日々リスナーと心を通わせながら生きる日々。
朝の声を通して、「あなたの人生も大丈夫ですよ」とそっと背中を押しているようです。
まとめ
不妊治療という試練を経て、住吉美紀さんが手にしたのは“結果”ではなく“気づき”でした。
何かを失っても、人生は続く。
そしてその道の先で、人は必ず「本当の自分」に出会える――。
彼女の生き方は、同じように悩みながら生きるすべての女性に、静かな勇気を与えてくれます。
それでは、ありがとうございました!
コメント