タレントの井上順さん(78)がテレビ番組で語った「祖父のとんでもない経歴」が大きな話題を呼んでいます。
祖父は陸軍中尉でありながら、日本に競馬を持ち込んだ“草創期の立役者”だったという驚きのエピソード。
さらに、渋谷にあった大豪邸や、幻となった競馬場の銅像秘話まで披露されました。
今回は、井上順さんが明かした「日本競馬と祖父の功績」に迫ります。
そこで今回は、
井上順が語る渋谷の大豪邸と井上家のルーツ
井上順が語る陸軍中尉の祖父が築いた「日本競馬の始まり」
井上順が語る幻となった「調布競馬場の銅像」秘話
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
井上順が語る渋谷の大豪邸と井上家のルーツ

井上順さんは「渋谷の大豪邸で生まれた」と自身の出自を明かしました。
その豪邸は、実は祖父が始めた“馬場”が礎になっていたのです。
大正から昭和にかけて、競馬はまだ黎明期。
そんな時代に馬を扱い、サラブレッドを育成するために活動していた祖父の存在は、まさに時代の先駆けだったといえます。
渋谷と聞くと都会の最先端の街という印象ですが、当時は広大な土地もあり、馬場として利用できる環境が残っていました。
そこに根付いた井上家の歴史が、順さんの人生背景にも影響していたのです。
井上順が語る陸軍中尉の祖父が築いた「日本競馬の始まり」

井上順さんの祖父は、陸軍中尉として軍務に就きながらも、日本競馬に大きな功績を残しました。
サラブレッド育成のためイギリスへ渡航し、そのノウハウを日本へ持ち帰ったのです。
井上さんは「じいさんがイギリスから競馬を持ってきた。日本で競馬を始めた」と語り、その影響の大きさを強調しました。
競馬界において祖父は“重臣”とも呼ばれる立場で、多くの相談を受ける人物だったといいます。
つまり、日本競馬の草創期を支えた「功労者」であり、スポーツ文化の発展に欠かせない人物だったのです。
井上順が語る幻となった「調布競馬場の銅像」秘話

井上順さんが特に印象的に語ったのは、祖父にまつわる幻の計画でした。
「もし元気でいれば、調布の競馬場に銅像が建つ予定だった」というのです。
調布競馬場は開発が進んでいたものの、祖父が亡くなったことで銅像建立は実現しませんでした。
しかし、銅像こそ建たなかったものの、祖父の功績は競馬界に深く刻まれています。
日本に競馬を根付かせた先駆者であり、渋谷の豪邸や家族の歴史にまでつながる壮大な物語は、多くの人の心に残るエピソードといえるでしょう。
まとめ
井上順さんが語った祖父の功績は、まさに「日本競馬の草創期」を象徴するエピソードでした。
陸軍中尉という立場にありながら、イギリスからサラブレッドを持ち帰り、日本に競馬文化を根付かせた先見性。
さらに、渋谷の大豪邸や、幻となった調布競馬場の銅像計画など、歴史の一コマとして今なお輝きを放っています。
芸能界で活躍する井上順さんのルーツには、意外にも日本スポーツ文化を築いた偉大な祖父の影響があったのです。
それでは、ありがとうございました!
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