昭和から平成、そして令和へと時代を超えて愛され続ける北島三郎さん。
2025年9月29日に行われた「令和・歌の祭典2025~作詞家星野哲郎生誕100年記念~」のステージでは、恩師である作詞家・星野哲郎さんへの深い感謝と、名曲「北の大地」にまつわる驚きの誕生秘話を語り、会場を大いに沸かせました。
今回はその内容を整理し、北島さんの言葉に込められた思いを振り返ります。
そこで今回は、
星野哲郎生誕100年記念コンサート
北島三郎が語る「北の大地」誕生の裏側
北島三郎が語る故郷と師への感謝
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
星野哲郎生誕100年記念コンサート

東京・渋谷のLINE CUBE SHIBUYAで行われた今回のコンサートは、星野哲郎さんの生誕100年を記念して開催されました。
生前におよそ4000曲もの作品を世に送り出した星野さんを慕う歌手たちが集結。
オープニングは水前寺清子さんが代表曲「三百六十五歩のマーチ」を出演者全員と歌い上げ、明るく華やかに幕を開けました。
続いて登場したのが北島三郎さん。
弟子である大江裕さんとともに「なみだ船」を披露し、車いすながらも変わらぬ“サブちゃん節”で観客を魅了しました。
北島三郎が語る「北の大地」誕生の裏側

北島三郎さんが特に強調したのは、自身の代表曲「北の大地」(1991年日本レコード大賞受賞曲)の制作秘話です。
作曲は師匠・船村徹さん、作詞は星野哲郎さん。
実はレコーディング直前に用意された仮歌詞は「おそまつ とどまつ えどまつ」。
このままでは聴衆に笑われてしまうと感じた船村さんが、星野さんに即座に書き直しを依頼しました。
すると、わずか30分後に新しい歌詞が完成。
それが今日まで歌い継がれる「北の大地」となったのです。
北島さんは「もしあの歌詞のままだったらレコード大賞は取れなかったかもしれない」と振り返り、その場にいた観客も驚きと感動に包まれました。
北島三郎が語る故郷と師への感謝

「北の大地」を歌うたびに背中に故郷・北海道を感じ、守られているような思いになると語る北島三郎さん。
ステージでは次のような感謝の言葉を口にしました。
「歌詞を書いてくれた哲さんにありがとう。作曲してくれたお師匠さんにもありがとう。そして歌っているおれにもありがとうです」
長年、師弟関係を築いてきた星野哲郎さんと船村徹さんへの敬意、そして歌い続けてきた自分自身への誇り。
これらすべてが「北の大地」という一曲に込められているのです。
まとめ
今回のコンサートで明かされた「北の大地」の誕生秘話は、まさに昭和歌謡史に残るエピソードと言えるでしょう。
30分で書き換えられた歌詞が名曲へと昇華し、北島三郎さんを通じて今も多くの人々の心に響き続けています。
師匠や恩師との絆、そして故郷への想い。北島さんの言葉からは、歌手人生を支えた「人と人とのつながりの大切さ」が強く伝わってきました。
これからも「北の大地」は、日本の歌謡史を象徴する一曲として語り継がれていくことでしょう。
それでは、ありがとうございました!
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