演歌歌手として50年以上にわたり第一線で活躍してきた山本譲二さん。
彼の成功の裏には、師匠・北島三郎さんとの深い師弟関係があります。
実はこの出会いは計画的なものではなく、まるで映画のような偶然から始まったのです。
今回は、山本譲二さんが語った「北島三郎への弟子入り秘話」をご紹介します。
そこで今回は、
山本譲二の北島三郎への弟子入りにおける映画館での出会い
のれんの前で待ち続けた10日間
山本譲二の北島三郎への弟子入りの決意と50年の絆
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう
山本譲二の北島三郎への弟子入りにおける映画館での出会い

1974年、まだ「伊達春樹」という芸名で活動していた山本譲二さんは、鳴かず飛ばずの時代を過ごしていました。
そんなある日、友人と映画「新兄弟仁義」を観に行ったところ、背後に黒の革ジャン姿の北島三郎さんが座っていたのです。
帰り際に思い切って「お疲れさまでした」と声をかけた山本さん。
北島さんから「どうもありがとう」と返ってきた一言に、大きな感動を覚えたといいます。
さらに数日後、中野のショッピングセンターで買い物をする北島さんの姿を目撃。
今度は“優しい父親”として子どもの手を引く姿を目にし、山本さんは「スターとしての姿」と「家庭人としての姿」の両方に心を打たれました。
のれんの前で待ち続けた10日間

当時24歳で、将来に迷いくすぶっていた山本譲二さんは「もうあの方に会うしかない」と決意。
北島三郎さんが新宿コマ劇場で公演中だったことを知り、毎日劇場に足を運びました。
しかし、楽屋に飛び込む勇気はなく、のれんの外で立ち続ける日々。
出てくる北島さんに「いってらっしゃいませ」「お疲れさまでした」と声をかけ、ただ頭を下げるだけ…。
その無言の行動を10日間続けたのです。
やがて10日目、北島さんが通りかかった際、付き人が持っていた小道具を山本さんに投げ渡しました。
山本さんは「これはついて来いという意味だ」と直感し、舞台袖まで北島さんを追いかけました。
そこで初めて「なんなんだ」と声をかけられ、ついに思いを伝える瞬間が訪れます。
山本譲二の北島三郎への弟子入りの決意と50年の絆

勇気を振り絞り「弟子になりたいです」と伝えた山本さんに対し、北島さんは「お父さんとお母さんに電話をして、二人が俺でいいと言うなら明日から来い」と告げました。
親の承諾を得た山本さんは、こうして北島三郎さんの内弟子として歩みを始めたのです。
この出会いから半世紀以上が経った現在も、師弟の絆は健在。
山本譲二さんは「もう51年目です」と感慨深げに語り、同席していた藤あや子さんも「映画みたい」と感嘆しました。まさに運命に導かれた師弟関係といえるでしょう。
その他
山本譲二さんが北島三郎さんに弟子入りした背景には、映画館での偶然の出会いと、その後の10日間にわたる“無言のアプローチ”がありました。
勇気と執念、そして師匠を思う真心があったからこそ、現在まで続く強い師弟関係が築かれたのです。
まるで映画のワンシーンのようなこの物語は、多くの人に「出会いの大切さ」や「諦めない心」の尊さを教えてくれます。
それでは、ありがとうございました!
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