浅田美代子の樹木希林との45年の友情!生き方と別れの瞬間を語る!

2018年9月15日に亡くなった女優・樹木希林さん。

そのユニークな生き方や飾らない人柄は、今も多くの人々に勇気を与え続けています。

そんな希林さんと45年にわたり親交を深め、最後の1か月もそばで寄り添ったのが女優・浅田美代子さんです。

本記事では、二人の深い友情や、希林さんが遺した生き方の哲学、そして最期の別れの瞬間について振り返ります。

そこで今回は、

浅田美代子の樹木希林との出会いから始まった特別な関係

 「物の命を使い切る」生き方の教え

最期の1か月と「死に方を選ぶ」姿

3つの観点から迫っていきます。

それでは、早速本題に入っていきましょう。

目次

浅田美代子の樹木希林との出会いから始まった特別な関係

浅田美代子さんと樹木希林さんの出会いは、1973年のドラマ『時間ですよ』(TBS系)での共演にさかのぼります。

浅田さんにとってデビュー作であり、若くして芸能界に飛び込んだ彼女にとって、希林さんは頼れる存在となりました。

撮影現場を離れてからも交流は続き、希林さんは浅田さんの家を訪ねては「ありもので作った料理」を楽しみ、「洗い物は私がやる」と率先して片づけを手伝うなど、自然体の姿勢を見せていたといいます。

お互いに気を使わず、毒も知りながら笑い合える――そんな関係が45年という長い友情の土台となっていきました。

 「物の命を使い切る」生き方の教え

希林希林さんが浅田美代子さんに強く伝えていたのは、「物を減らして、余計なものを持たない」という考え方でした。

靴はわずか3足、服も数着しか持たず、ほとんどは娘・内田也哉子さんからのお下がり。

男性用ズボンをリメイクしたり、セーターをほどいてパッチワークにしたりと、“物の命を最後まで使い切る”工夫を楽しんでいました。

さらに「癌っていう字は“病だれ”の中に“品の山”って書くのよ。物を持ちすぎると病気になる」と語り、浅田さんに断捨離の大切さを伝え続けていました。

浅田さん自身もその教えを胸に、古着のリサイクル活動や「古着でワクチン」といった仕組みを活用するようになったといいます。

最期の1か月と「死に方を選ぶ」姿

2004年に乳がんが見つかって以降も、希林希林さんは「死ぬ死ぬ詐欺って思われてないかしら」と笑いながら、淡々と治療と仕事を続けていました。

しかし2018年夏に大腿骨を骨折し、入院生活を余儀なくされます。

その最後の1か月、浅田美代子さんはほぼ毎日病室を訪れました。

希林さんは泣き言を口にせず、夕暮れ時に「もう帰りなさいよ」と言いながらも、そばに残る浅田さんに安心した表情を見せていたといいます。

筆談で「美代ちゃんはここにいて。この子も役者のはしくれだから、全部見せるの」と伝えたエピソードからも、自らの“死にざま”を最後まで見せる覚悟が感じられます。

やがて「そろそろ退院する」と自ら医師に告げ、自宅で最期を迎えた希林さん。

老い方も、死に方も、自分で選んだ姿は、まさに「生き切った人生」そのものでした。

まとめ

浅田美代子さんが語る樹木希林さんの思い出には、45年にわたる友情の深さと、人生をどう生きるかへの大きなヒントが詰まっています。

まっています。
「物を持たず、物の命を使い切ること」「人として普通であること」「年を取ることを面白がること」――希林さんの言葉は、私たちが日々の暮らしを見直す指針にもなります。

別れの瞬間まで自分の意思で選び抜いたその生き様は、多くの人の心に残り続けるでしょう。

それでは、ありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA

目次