露の團六の経歴まとめ!露の五郎兵衛一門入門から寄席での歩みまで!

2026年2月24日、上方落語協会から一報が届いた。上方落語家・露の團六(つゆの だんろく)さんが、同月21日に肝腎不全のため67歳という若さでこの世を去った、という悲しい知らせでした。

露の團六さんといえば、兵庫・神戸を中心に上方落語の世界で長年活躍し、ラジオ番組ではメインパーソナリティーを14年にわたって務めた人気噺家です。

また、ダウン症の兄・典夫(ノリオ)さんとの暮らしをつづった自著の出版以来、全国各地で300回を超える講演活動を続けた「落語と人権の語り部」としての一面も多くの人の心に刻まれています。

本記事では、露の團六さんがどのような人生を歩んできたのか——生い立ちから露の五郎兵衛一門への入門、噺家としての精力的な活動、そして講演活動の歩みまでを、改めて丁寧に振り返っていきます。

そこで今回は、

露の團六の経歴の中での生い立ちと露の五郎兵衛一門への入門

露の團六の経歴の中での14年のラジオ、そして寄席

露の團六の経歴の中での笑いと涙の300回

3つの観点から迫っていきます。

それでは、早速本題に入っていきましょう。


目次

露の團六の経歴の中での生い立ちと露の五郎兵衛一門への入門

露の團六さんは、1958年(昭和33年)9月27日に兵庫県神戸市東灘区で生まれました。

本名は井原 俊二(いはら しゅんじ)

幼少期から、2歳年上のダウン症の兄・典夫(ノリオ)さんとともに育つという、他の子どもとは少し異なる家庭環境の中で少年時代を過ごしました。

高校は兵庫県立夢野台高等学校へ進学

その後1977年(昭和52年)4月に神戸大学教育学部初等教育科へ入学

小学校教員免許の取得を目指す、真面目な学生生活を送っていた彼の人生を劇的に変えたのが、落語との出会いでした。

大学在学中に偶然聴いた二代目・露の五郎兵衛の落語に深く感動した團六さんは、弟子入りを決意。

1980年(昭和55年)5月5日——こどもの日——に、正式に露の五郎兵衛一門へ入門を果たしました。

この入門日は、まさに偶然とは思えない、縁起のよい門出だったとも言えよう。

入門後も学業を続け、1982年(昭和57年)に神戸大学教育学部を卒業(小学校教員免許取得)

このエピソードは、團六さんが噺家としての道を歩みながらも、教育や人との関わりをつねに大切にし続けた姿勢を象徴しています。

一門の紋は桔梗(中蔭)、出囃子は「鍛冶屋」。

露の五郎兵衛一門の弟子の中でも、ひときわ知性と人間味を兼ね備えた噺家として、その個性を磨いていった。

露の五郎兵衛一門の系図を見ると、二代目五郎兵衛の門下には、露の都、露の五郎、露の新治ら多くの噺家が名を連ねており、團六さんはその中で長年にわたり一門を支え続けた存在でした。


露の團六の経歴の中での14年のラジオ、そして寄席

入門以降、露の團六さんは上方落語の舞台に立ち続けながら、多彩なメディア活動も展開していきました。

その代表格が、1987年(昭和62年)から2001年(平成13年)まで足かけ14年間にわたりラジオ関西(AM神戸)でメインパーソナリティーを務めた「露の團六のニュース大通り」です

ニュース番組に落語家が冠として名を連ねるという、当時としては異色の番組構成で、リスナーから絶大な人気を博した。

1999年(平成11年)には「話題屋団六大通り」も同局でスタートするなど、ラジオの世界での存在感は特筆すべきものがあった。

テレビでは、NHK「上方落語特選」への出演など、上方落語の普及・継承にも貢献。

教育分野でも神戸山手女子短期大学国文学科の非常勤講師、大阪成蹊大学芸術学部の非常勤講師、広島大学医学部や兵庫県立西宮南高校の特別非常勤講師を歴任するなど、噺家と教育者の顔を合わせ持つユニークな存在でもありました。

落語の舞台活動においては、主な会として以下の三つが特に有名です。

「明石高家寺寄席」「板宿寄席」「露の五郎兵衛の遺した噺」

いずれも兵庫・神戸の地に根ざした寄席・落語会であり、地域のファンと向き合い続けた活動の核となっていました。

大阪・神戸を中心に年1回開催してきた独演会「露の団六の会」では、師匠・五郎兵衛ゆかりの大ネタである「船弁慶」「二番煎じ」に挑戦したり、インド古典楽器・シタールとのジョイント公演で「西遊記」を演じるなど、意欲的な試みでも知られました。

約46年にわたる噺家人生において、露の團六さんは単なる「演者」にとどまらず、落語を教育や地域コミュニティと結びつける稀有な人物だったと言えるでしょう。


露の團六の経歴の中での笑いと涙の300回

露の團六さんの名を全国に広めたもう一つの大きな活動が、講演活動。

その出発点は、2004年(平成16年)に出版した自著「あほやけど、ノリオ ダウン症の兄貴を持って」(中央法規出版)でした。

本書は、2歳年上のダウン症の兄・典夫(ノリオ)さんとともに暮らした日々を幼少期から丁寧につづったもの。

ノリオさんとの日常のエピソード、家族が直面した困難、そして笑いと涙が交錯する温かな兄弟の物語が、多くの読者の共感を呼びました。

本の出版をきっかけに、全国各地の中学校・高校、PTAの集会、人権の会などから次々と講演の依頼が舞い込み、回数は300回以上に達しました。

「旅好きの私にとって、大変ありがたいことと喜んでいます」と團六さん自身が語っていたように、全国を飛び回りながら講演と落語の一席をセットで届けるスタイルで活動を続けた。

主な講演テーマには以下のようなものがあった。

  • 「噺家が考える人権~ダウン症のアニキをもって~」
  • 「あほやけどノリオ~兄は楽しい?障がい者?~」
  • 「落語家が見た成年後見制度~ダウン症のアニキの後見人として~」
  • 「笑は生活必需品」
  • 「同じ人間として」

特筆すべきは、團六さんが兄・ノリオさんの成年後見人を自ら引き受けていました。

家庭裁判所への申立て手続き、法務局、区役所……膨大な書類と奔走する日々も、講演の中で包み隠さず語り続けました。

「できる限り、講演とともに、落語をやらせてもらっています。一人でも多くの人に落語を好きになってもらい、障害者への理解も深めてほしい」という言葉が、彼の活動の全てを物語っています。


【まとめ】落語と人権を結んだ噺家の生涯

露の團六さんは、神戸大学卒という経歴を持ちながら落語の道へ進み、二代目露の五郎兵衛のもとで46年間噺家として生き抜きました。

ラジオパーソナリティー、寄席の演者、大学の非常勤講師、そしてダウン症の兄との日々を語る講演家——その肩書きは一言では語れません。

「一人でも多くの人に落語と接してもらい、障がい者への理解も深めてほしい」という願いを胸に走り続けた團六さんは、2026年2月21日、肝腎不全のためこの世を去りました。

67歳だった。

通夜は2月26日、告別式は2月27日に執り行われた。

生前、死の間際まで高座への復帰を望んでいたとも伝えられる團六さんの落語と言葉は、300回を超える講演の記憶とともに、全国に散らばる人々の心の中で今も生き続けているはずです。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

それではありがとうございました。


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