2025年11月、大相撲九州場所の千秋楽。
ウクライナ出身の安青錦新大(あおにしき・あらた)関(21)が、ついに初優勝を成し遂げました。
テレビの前でその瞬間を見守ったのは、関西大学相撲部コーチの山中新大(やまなか・あらた)さん(26)。
彼は、ウクライナの少年が日本へ夢を追ってやって来た“最初の扉”となった人物です。
2人は単なる指導者と選手ではなく、家族のような深い信頼と絆で結ばれた特別な関係。
この記事では、16歳のウクライナ少年と、日本の大学生だった青年が出会い、“力士”という夢を共に追いかけた数年間をたどります。
そこで今回は、
安青錦関のコーチとの出会い
安青錦関のコーチとは家族のような時間
安青錦関のコーチとの人生の軌跡
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
安青錦関のコーチとの出会い

2人の物語は、2019年10月。
堺市で開かれた世界ジュニア相撲選手権大会から始まります。
当時、関大1年だった山中新大さんは、初々しさの中に真剣な目を宿したウクライナ代表の少年、**ダニーロ・ヤブグシシン(後の安青錦関)**に目を止めました。
試合後、メダルを胸にした15歳の少年に声をかけた一言。
その何気ない交流が、後に2人の人生を大きく変えるとは、誰も予想していなかったでしょう。
帰国後も2人はSNSでやり取りを続け、互いの稽古の動画を送り合い、励まし合う日々が続きました。
そして2022年、世界は戦争の渦に巻き込まれます。
ウクライナ侵略により、練習もままならなくなったダニーロが頼ったのは――わずか3年前に出会った日本の青年、山中新大さんでした。
安青錦関のコーチとは家族のような時間

「来てもいいよ。うちの家族も歓迎するから。」
山中新大さんは迷わず、ダニーロの日本行きを受け入れました。
リュックとトランクだけを抱え、不安と期待を胸に関西国際空港に到着したウクライナの少年。
その日から2人は、同じ食卓を囲み、同じ道場で汗を流し、家族として過ごす特別な日々を送ります。
山中家では、彼はすぐに「ダーニャ」と呼ばれ、山中新大さんのことは親しみを込めて「新大(あらた)」と呼ぶようになりました。
・日本語の勉強
・関大相撲部の稽古参加
・生活リズムの作り直し
・食事管理
・メンタル面のサポート
すべてを横で支えたのが、当時まだ大学生だった山中さん。
やがてダニーロには、“本当に日本で相撲をやりたい”という揺るぎない情熱が宿り、角界への道が現実味を帯びていきました。
安青錦関のコーチとの人生の軌跡

2023年、ダニーロは念願の角界入り。
しこ名は 「安青錦新大(あおにしき・あらた)」。
名前の“新大”は、もちろん山中新大さんの名前からとったものです。
「恩人に感謝したい。彼がいなければ、日本に来ることも、力士として生きることもできなかった。」
そう語る安青錦関の目には、迷いのない覚悟がありました。
そして2025年11月23日、九州場所千秋楽。
安青錦関はついに初優勝を果たし、大関昇進が確実と言われるまでに成長。
その瞬間、山中新大さんの胸に浮かんだのは、関空に降り立ったときの不安そうな表情と、共に笑い、共に悔しがり、共に稽古したあの日々でした。
テレビ越しに土俵を見つめながら、「いつもと変わらない彼の相撲を取り切った」。
そう語る山中さんの声には、コーチとしての誇りと、兄のような安堵がにじんでいました。
まとめ
2人の相撲人生はまだ続く──“絆”が未来を強くする**
ウクライナから単身で来た少年と、彼を受け入れ、支え続けた若き日本人コーチ。
2人の関係は、国籍でも、年齢でも、師弟という枠でも語りきれないほど特別です。
安青錦関がこれから大関、そして横綱を目指していく中で、その背中には必ず“家族”として寄り添ってきた山中新大さんの影があります。
そしてこの物語は、初優勝で終わりではなく、ここからさらに大きなドラマが始まっていくのでしょう。
2人が築いてきた“絆の相撲”が、これからどんな未来を切り拓くのか――。
その続きに、ますます期待が高まります。
それでは、ありがとうございました!

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