「一針入魂」の精神で知られ、世界に誇るバッグブランド“PORTER(ポーター)”。
その4代目に就任したのが、若きリーダー 吉田幸裕(よしだ・ゆきひろ)社長です。
2020年代に入ってから急速に存在感を増した彼は、単なる“家業の後継ぎ”ではありません。
大学卒業後に単身イタリアへ渡り、革の本場で技と美学を徹底的に学んだ努力家。
そして帰国後は、吉田カバンの現場で汗をかき、品質管理から職人との対話まで、一歩ずつ“ブランドを背負う覚悟”を積み上げてきました。
そこで今回は、
吉田幸裕の社長の経歴の中での“職人一家”に育った少年時代
吉田幸裕の社長の経歴でのイタリアへ渡った理由
吉田幸裕の社長の経歴の中での帰国後の“下積み”と決断
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
吉田幸裕の社長の経歴の中での“職人一家”に育った少年時代

吉田幸裕さんは1984年、東京に生まれました。
父は“PORTER”の前社長である 吉田克幸氏。
創業家として幼いころからバッグや革素材に囲まれ、自然と“ものづくり”の空気の中で育ちます。
ただし、彼の原点には「後継ぎとして育てられた」という堅苦しい雰囲気はありません。
家族が大切にしてきた“職人への尊敬”や“丁寧な暮らし方”がゆっくりと彼の心に浸透していった……そんな穏やかな原風景がありました。
学生時代は、ものを観察することが好きで、デザインにも興味を持ち始めます。
しかし、この時点で「自分が社長になる」とは考えておらず、“外の世界を見たい”という純粋な気持ちが後の大きな決断につながっていきます。
吉田幸裕の社長の経歴でのイタリアへ渡った理由

大学卒業後、吉田幸裕さんは 単身イタリアへ留学します。
ここが彼の人生の大きな転機でした。
イタリアといえば、革工芸とデザインの世界的中心地。
彼が選んだのは、自分のルーツのブランド力に甘えず、ゼロから“ものづくりの基本”を学び直す道でした。
現地では、革の裁断、縫製、パターン作り、染色、デザイン理論などバッグ作りの基礎を徹底的に叩き込まれます。
イタリアの職人は「技術は背中で学べ」というスタイル。
細かい説明がなくとも、動きや空気を感じ取らなければならない――そんな厳しい環境に身を置きながら、
吉田さんは自分の“ものづくりの軸”を形作っていきました。
加えて、現地企業でも実務を経験。
グローバルなビジネス感覚も身につけ、「日本発のブランドを世界へ」という視座が備わっていきます。
この修行期間は、のちに吉田カバンの社長として“世界を見据えたPORTER”を展開するうえで大きな財産になりました。
吉田幸裕の社長の経歴の中での帰国後の“下積み”と決断

イタリア修行を終え、約29歳で帰国。
満を持して吉田カバンに入社した吉田幸裕さんでしたが、彼を待っていたのは華やかなポジションではなく、地道な現場での修行の連続でした。
品質管理、素材選定、工場とのやり取り、職人との対話……バッグ作りに関わるあらゆる工程を経験し、イタリアで学んだ視点と日本の職人技をつなぐ役割を果たしていきます。
この“現場主義”が評価され、ついに36歳という若さで吉田カバン4代目社長に就任。
就任後は、
- PORTERの世界的ブランディング
- 伝統技術を守りながら次世代デザインの導入
- 職人の働き方や環境改善
- 海外戦略の強化
など、“若い視点”を生かした大きな改革を進めています。
一針入魂の精神に新しさを加えた、まさに“次世代のPORTER”を象徴する存在へと成長しています。
まとめ
吉田幸裕社長の経歴は、一言で言えば**「外の世界で学び、地元に戻って大切なものを育てる物語」**です。
イタリアで学んだ目の肥えた美意識、職人への敬意、ものづくりへの徹底した姿勢――。
そのすべてが、PORTERという世界的ブランドの未来につながっています。
創業から90年以上続く“吉田カバン”において、彼は新しい時代の象徴であり、伝統と革新をつなぐ若きリーダー。
これからのPORTERがどう変わっていくのか――吉田幸裕社長の挑戦から目が離せません。
それでは、ありがとうございました!

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