1997年、『もののけ姫』の主題歌でその透明な歌声が日本中を包み込んだ歌手・米良美一さん。
しかし2015年12月、彼の人生は一瞬で暗転します。
鹿児島での公演を終えた翌日、自宅の廊下で倒れているところをマネージャーが発見。
診断は「グレード4のくも膜下出血」――生死の境をさまよう、極めて危険な状態でした。
記憶を失い、意識はあっても言葉を発することができない。
それでも、米良さんは“再び歌う”という強い想いだけを胸に、奇跡の再生を果たしていきます。
そこで今回は、
米良美一が記憶が途切れた日
米良美一の「声」を取り戻すまでの闘い
米良美一が記憶をなくした後の奇跡の復帰
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
米良美一が記憶が途切れた日

2015年12月、鹿児島での講演の途中から記憶が途切れたという米良美一さん。
翌日、自宅の廊下で倒れている姿を発見され、救急搬送。
診断結果は「脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血」でした。
意識はあるのに言葉が出ず、身体も動かない。
まるで自分の中の時間が止まってしまったような感覚だったといいます。
発症から14時間後、開頭クリッピング術による緊急手術が行われました。
その後も水頭症や再出血のリスクにさらされながら、計3度の手術を経験。
「記憶がない」という現実と向き合いながらも、彼の心の奥には“まだ歌いたい”という炎が消えませんでした。
米良美一の「声」を取り戻すまでの闘い

退院までの道のりは決して平坦ではありませんでした。
発症直後は発声も困難で、歩くことすらままならなかった米良美一さん。
しかし、彼を支えたのは“音楽の記憶”でした。
ピアノの音、メロディの断片、そしてステージに立つ感覚。
それらが少しずつ身体の奥から蘇り、声を出す訓練へとつながっていきます。
リハビリのたびに「またステージで歌いたい」という願いを口にしていた米良美一さん。
医師やスタッフもその強い意志に心を打たれ、支える輪が広がっていきました。
やがて、少しずつ声が出るようになり、その声に再び“祈り”のような響きが宿っていきます。
米良美一が記憶をなくした後の奇跡の復帰

発症から1年後、再手術を終えた米良美一さんは、再びマイクの前に立ちました。
その瞬間、ステージのライトと観客の拍手が、まるで彼の“記憶”を呼び戻すように響いたといいます。
歌い出したのは、『もののけ姫』。
「生きろ。」という歌詞が、これほどまでに彼自身の人生と重なった瞬間はありません。
くも膜下出血を乗り越えた米良美一さんは今も言います。
「命があること、そして声が出ること。それが何よりの奇跡なんです。」
先天性骨形成不全症という難病を抱えながらも、彼は音楽で“生きる意味”を紡ぎ続けています。
まとめ
米良美一さんの人生は、まさに「奇跡」という言葉に尽きます。
記憶を失っても、声が出なくても、心の奥には“音楽”という記憶が残っていました。
それは、命が続く限り消えない魂の響き。
彼の歌声には、苦しみを越えた人だけが持つ“静かな強さ”が宿っています。
私たちはその歌を聴くたびに、「生きることの尊さ」を思い出すのです。
――たとえ記憶がなくなっても、“心”は歌い続ける。
それでは、ありがとうございました!

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