建設機械大手「コマツ(小松製作所)」の元社長で、日本を代表する経営者の一人として知られた坂根正弘(さかね・まさひろ)さんが、2026年8月10日に85歳で亡くなりました。
コマツは8月18日、坂根正弘さんが「病気のため」亡くなったことを正式に発表しています。
通夜と葬儀は近親者のみで執り行われました。(コマツ 企業サイト)
坂根正弘さんといえば、コマツが大幅な赤字に陥った厳しい時期に社長へ就任し、事業の「選択と集中」を進める大胆な構造改革によって、わずか1年ほどで業績をV字回復させたことで有名です。
さらに「ダントツ経営」という考え方を掲げ、コマツを世界で戦える建設機械メーカーへ成長させた経営者としても高く評価されてきました。(テレ東・BSテレ東)
そんな坂根正弘さんについて、「死因は何だったの?」「どんな経歴の人?」「コマツをV字回復させた改革とは?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、
坂根正弘さんの死因は何だったのか
坂根正弘さんの経歴やコマツ社長までの歩み
坂根正弘さんが実現した「V字回復」とダントツ経営
この3つの観点から詳しく見ていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
坂根正弘の死因は?85歳で病気のため死去

坂根正弘さんは、2026年8月10日に85歳で亡くなりました。
コマツが8月18日に発表した公式情報によると、死因については**「病気のため」**とされています。(コマツ 企業サイト)
ただし、現時点で具体的な病名については公表されていません。
そのため、がんや心臓病など特定の病気だったと断定できる情報はなく、死因については「病気のため」とするのが正確です。
コマツの発表では、坂根正弘さんは1941年1月7日生まれで、島根県出身。
2026年8月10日に亡くなり、享年85歳でした。
通夜と葬儀については近親者のみですでに執り行われたということです。遺族の意向により、供花や香典、弔問も辞退するとされています。(コマツ 企業サイト)
また、お別れの会については、8月18日の発表時点では未定となっています。(コマツ 企業サイト)
日本を代表する製造業企業の経営改革を成し遂げ、経済界でも長く活躍してきた人物だけに、85歳での訃報を惜しむ声は今後さらに広がっていきそうです。
坂根正弘の経歴は?大阪市立大学からコマツ社長へ
坂根正弘さんは、1941年1月7日生まれ、島根県出身です。
コマツの公式発表でも出身地は島根県とされています。(コマツ 企業サイト)
大学は大阪市立大学工学部を卒業しています。
1963年に大学を卒業すると、そのまま小松製作所、現在のコマツに入社しました。
若手時代にはブルドーザーの設計などに携わり、技術者としてキャリアをスタートさせています。(アカデミーヒルズ)
その後、1989年に取締役へ昇格。海外事業にも深く関わり、小松ドレッサーカンパニー、現在のコマツアメリカの社長を務めるなど、グローバル経営の経験を積んでいきました。(アカデミーヒルズ)
1999年には代表取締役副社長となり、そして2001年に代表取締役社長へ就任します。
2003年からは代表取締役社長兼CEO、2007年には代表取締役会長、2010年には取締役会長に就任。
2013年には相談役・特別顧問となりました。(コマツ 企業サイト)
坂根正弘さんの活躍はコマツだけにとどまりません。
2010年には日本経済団体連合会(経団連)の副会長、2012年には日本科学技術連盟会長、2014年には経済産業省の資源エネルギー調査会会長なども務めています。(コマツ 企業サイト)
また、2008年には「デミング賞本賞」、2014年には「旭日大綬章」を受章しています。(コマツ 企業サイト)
技術者としてコマツに入社し、海外事業や経営企画を経験したうえでトップへ上り詰めた坂根正弘さん。
まさに「現場を知る経営者」だったことが、その後の大胆な改革にもつながったのでしょう。
坂根正弘がコマツを「V字回復」させた改革がすごい
坂根正弘さんの名前を経営史に残した最大の功績といえるのが、コマツのV字回復です。
坂根正弘さんが社長に就任した2001年前後、コマツは大きな経営危機に直面していました。
BSテレ東の「日経スペシャル 私の履歴書」では、当時のコマツについて約800億円規模の赤字を抱えていたと紹介されています。
坂根正弘さんは社長就任後、生産コストの「見える化」に着手し、子会社の整理など痛みを伴う構造改革を進めました。(テレ東・BSテレ東)
坂根正弘さんが進めた改革の大きな特徴が、単純なコスト削減だけでは終わらせなかったことです。
不採算事業などを見直す「選択と集中」を進める一方で、コマツでなければ作れない強い商品を生み出すことにも力を入れました。
ここから生まれていった考え方が、後に広く知られるようになる**「ダントツ経営」**です。
競合企業が簡単には追いつけないほど特徴のある「ダントツ商品」を作り、価格競争だけではない強さを築いていくという考え方でした。
坂根正弘さんの改革は、赤字事業を減らす「守り」と、競争力のある製品へ投資する「攻め」を同時に進めた点に特徴があります。(アカデミーヒルズ)
さらに注目されたのが、建設機械の稼働状況などを遠隔で把握できる**「KOMTRAX(コムトラックス)」**です。
坂根正弘さんは社長就任後、KOMTRAXをコマツの建設機械へ標準装備する方向に進めました。
機械の位置や稼働状況などを把握できるようになったことで、保守サービスだけでなく、市場の需要を捉えるための情報としても活用されるようになります。(テレ東・BSテレ東)
そして改革の成果は早く表れました。
BSテレ東によると、約800億円の赤字から、わずか1年ほどで約330億円の営業黒字を記録するまでに回復。
まさに「V字回復」と呼ばれる劇的な業績改善を実現したのです。(テレ東・BSテレ東)
坂根正弘さんは2001年から2007年までコマツの社長を務め、その後は会長として経営を支えました。
コマツ自身も今回の訃報発表に際し、坂根正弘さんが2001年に代表取締役社長へ就任し、2003年から社長兼CEOを務めた経歴を公表しています。(コマツ 企業サイト)
危機的な赤字を前にして縮小するだけではなく、「どこで勝つのか」を明確にして強みへ経営資源を集中させたことが、坂根正弘さんの改革の大きな特徴だったといえるでしょう。
まとめ
今回は、**「坂根正弘の死因は?85歳で死去したコマツ元社長の経歴や『V字回復』の改革を調査」**と題して、坂根正弘さんについて紹介しました。
坂根正弘さんは2026年8月10日、85歳で亡くなりました。
コマツの公式発表では死因は**「病気のため」**とされていますが、具体的な病名については明らかにされていません。
葬儀は近親者のみで執り行われ、お別れの会については8月18日時点で未定となっています。(コマツ 企業サイト)
坂根正弘さんは大阪市立大学工学部を卒業後、1963年に小松製作所へ入社。
技術者や海外事業の責任者などを経験し、2001年に代表取締役社長へ就任しました。(アカデミーヒルズ)
社長就任当時、コマツは巨額の赤字という厳しい状況にありましたが、生産コストの見える化や事業の選択と集中を進め、「ダントツ商品」やKOMTRAXといったコマツ独自の強みを伸ばしていきました。
その結果、約800億円規模の赤字から約330億円の営業黒字へと転じるV字回復を成し遂げています。(テレ東・BSテレ東)
単なるリストラではなく、**「弱い部分を改革しながら、強い部分を徹底的に伸ばす」**という坂根正弘さんの経営姿勢は、その後のコマツの成長を支える大きな土台になったといえるでしょう。
日本を代表する経営者として長年にわたり産業界を支えてきた坂根正弘さん。
その功績を振り返りながら、心よりご冥福をお祈りいたします。
それでは、ありがとうございました!

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