2025年11月13日、声優・ナレーターとして数多くの作品を支えた肥後マコトさんが、病気のため54歳で亡くなったことが所属事務所から発表されました。
『クロスファイト ビーダマン』雑賀アキラ役や『まじめにふまじめ かいけつゾロリ』ダポン役など、作品名を聞けば「声が耳に蘇る」という方も多いはずです。
この記事では、地方・島根から声優の道を切りひらいた学歴や、代々木アニメーション学院での修業時代、そして賢プロダクションからケッケコーポレーションへと続いたキャリアの歩みを、できるだけ丁寧にたどっていきます。
そこで今回は、
肥後マコトさんの学歴の中での高校時代までの学び
肥後マコトさんの学歴からの代々木アニメーション学院声優科
肥後マコトさんの学歴後は賢プロからケッケコーポレーションへ
3つの観点から迫っていきます。
肥後マコトさんの学歴の中での高校時代までの学び

肥後マコトさんは1971年6月1日、島根県浜田市に生まれました。
本名は肥後誠さん。
地方都市・浜田で幼少期と青春時代を過ごし、地元の県立高校である島根県立浜田高等学校を卒業しています。
浜田高校は、部活動も盛んな普通科高校として知られ、地域の進学層を支えてきた学校です。
地方ゆえにアニメや声優業界のスタジオが身近にある環境ではありませんが、そんな中でも「声の仕事」を志し、島根から上京する決断をしたこと自体が、大きな一歩だったと言えます。
当時の詳しいエピソードは多くは語られていませんが、後年の情報からは「漫画やアニメ文化への強い愛着」が伝わってきます。
特に『キン肉マン』が大好きで、「この作品と出会っていなければ役者になっていなかった」と語っていたツイートも残されており、少年期から“作品に心を動かされる体験”が、将来の進路を決める大きなきっかけになっていたことがうかがえます。
高校卒業後、肥後さんは夢を追って東京へ。
ここから、専門の養成機関である代々木アニメーション学院での本格的な修業が始まります。
肥後マコトさんの学歴からの代々木アニメーション学院声優科

肥後マコトさんが進学したのは、声優志望者にはおなじみの専門校・代々木アニメーション学院 声優科。
ここを卒業したことが、公表されている唯一の“最終学歴”になります。
代アニの声優科では、発声・滑舌・マイクワーク・演技基礎など、現場で即戦力となるためのカリキュラムが組まれています。
肥後さんもこの環境で、
- 現場で通用する発声と滑舌
- アニメ/外画/ナレーションといったジャンルの違い
- 台本の読み込み方、キャラクター作り
といった「プロとしての基本」を徹底的に叩き込まれたと考えられます。
さらに肥後さんは、柔道初段の資格を持ち、趣味として鹿島アントラーズの応援やプロレス観戦(特にWWE)を公言していました。
スポーツや格闘技が好きな人ならではの“熱量”や“瞬発力”が、エネルギッシュなキャラクターやコミカルな役柄を演じるうえで、大きな武器になっていたのかもしれません。
代アニ卒業後、いよいよ彼はプロの声優としてのステージへ足を踏み入れます。
その入口となったのが、大手声優事務所・賢プロダクションでした。
肥後マコトさんの学歴後は賢プロからケッケコーポレーションへ

代々木アニメーション学院を卒業した肥後マコトさんは、声優事務所・賢プロダクションに所属し、1990年代から本格的に声優・ナレーターとしてのキャリアをスタートさせます。
賢プロ時代には、端役の兵士役からテレビアニメ、ゲーム、ナレーションまで、さまざまな現場で経験を積み重ねました。こうした「小さな役」の積み上げが、後の代表作につながっていきます。
そして2008年、肥後さんにとって一つの転機となるのが、ケッケコーポレーションへの移籍です。
2007年まで賢プロダクションに在籍し、2008年4月からケッケコーポレーション所属となったことが複数の資料で確認されています。
ケッケ移籍後も、アニメ・ナレーション・CMと幅広く活動。特にファンの記憶に残っている代表的な出演作としては、
- 『クロスファイト ビーダマン』雑賀アキラ役
- 『まじめにふまじめ かいけつゾロリ』ダポン役
- 『おおきく振りかぶって ~夏の大会編~』和田誠役
- 『TOKYO TRIBE 2』ハシーム役
などが挙げられます。
主役級ではない“バイプレイヤー”でありながら、「出てくると画面が締まる」「独特の存在感がある」と感じていた視聴者も少なくありません。
役柄も、コミカルなキャラからクセのある大人、頼れる兄貴分まで幅広く、どのキャラクターにも「人間味のある声」を与えていたことが、肥後さんの強みでした。
まとめ
改めて整理すると、肥後マコトさんの学歴・キャリアの流れは、
- 島根県浜田市で生まれ育ち、県立浜田高校を卒業
- 高校卒業後に上京し、代々木アニメーション学院 声優科で専門的に学ぶ
- 賢プロダクションに所属し、1990年代から現場で経験を積む
- 2008年からケッケコーポレーションに移籍し、アニメ・ナレーション・舞台などで活躍
- 2025年、54歳で逝去
というシンプルながらも、一歩一歩階段を上るようなキャリアでした。
「地方出身だと声優になるのは難しいのでは」と感じている人にとって、島根から上京し、専門学校を経て長年にわたり現役で活躍し続けた肥後さんの歩みは、大きな励ましになるはずです。
彼が演じたキャラクターやナレーションは、これからも作品の中で生き続けます。
この記事をきっかけに、もう一度お気に入りの作品を見返しながら、肥後マコトさんの声と足跡に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
それでは、ありがとうございました!

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