阪神タイガースでプレーし、21歳で脳腫瘍と闘うことになった横田慎太郎さん。
視力を失うほどの後遺症に苦しみながらも、彼は常に前を向き続けました。
そして迎えた2019年の引退試合。
中堅から三塁へ放った“奇跡のバックホーム”は、球場にいた誰もが涙をこぼすほどの感動を生みました。
わずか28歳でこの世を去った横田さんが、短い人生の中で私たちに残してくれたものとは何だったのでしょうか。
努力、家族の愛、仲間との絆、そして「生きる力」。
その軌跡を、改めて振り返ります。
そこで今回は、
横田慎太郎さんが遺した外野手のDNA
横田慎太郎さんが遺した脳腫瘍でも前を向いた理由
横田慎太郎さんが遺した“奇跡のバックホーム”
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
横田慎太郎さんが遺した外野手のDNA

横田慎太郎さんは、元プロ野球選手・横田真之さんを父に持ちます。
幼い頃から父の練習を間近で見ながら育った横田少年は、自然と野球に魅せられ、鹿児島・鹿児島実業高校へ進みます。
高校時代は“九州のイチロー”とも呼ばれ、広い守備範囲と俊足で注目を集めました。
2014年のドラフトでは阪神タイガースから2位指名を受け、外野の将来を担う存在として入団します。
プロ入り後は懸命に練習を重ね、2016年には開幕スタメンを勝ち取るほどの成長を見せました。
明るく素直な性格から、先輩選手たちにも愛される存在に。
順調な未来が待っている——誰もがそう信じていた矢先に、突然の“異変”が訪れます。
横田慎太郎さんが遺した脳腫瘍でも前を向いた理由

2017年、横田慎太郎さんは視界が二重に見える異変を覚えます。
検査の結果、医師から告げられたのは 脳腫瘍 という厳しい現実でした。
手術は成功したものの、視力障害という大きな後遺症が残りました。
ボールが見えづらくなるという、野球選手にとって致命的な状況。
それでも、彼は決して弱音を吐きませんでした。
「僕は、まだ終わっていない。」
治療、リハビリ、そして再びバットを握る日を夢見て、前向きに努力を続けた横田さん。
母・まなみさんは毎日病室に通い、父・真之さんは静かに息子を支え続けました。
家族の愛と仲間たちの励ましが、横田さんの心を支えていたのです。
横田慎太郎さんが遺した“奇跡のバックホーム”

2019年9月26日。
横田慎太郎さんは引退試合に臨みました。
守備についたのは、彼がもっとも輝いたポジション・中堅。
相手打者が放った打球はセンター前へ。
横田さんは迷いなく前進し、体をひねりながら三塁へと送球——。
その一瞬は、まるで奇跡のようでした。
視界に大きなハンデを抱えながらも、ボールは美しい軌道を描き、三塁手のグラブへ吸い込まれる。
球場は大きな拍手と涙に包まれ、チームメイトは皆、横田さんに駆け寄りました。
その後、腫瘍の再発・転移との闘いを続けながらも、横田さんは「講演」「執筆」「笑顔」で多くの人にエールを送り続けました。
そして2023年。
家族に見守られながら、わずか28年の人生に幕を下ろします。
しかし彼が残したメッセージは、今も多くの人の心の中で生き続けています。
まとめ
横田慎太郎さんの28年の人生は、長さ以上の輝きを放っています。
努力する姿、家族への感謝、仲間に向ける優しさ、そして最後まで前向きに生きた強さ。
奇跡のバックホームは、単なるプレーではなく、「あきらめない心」「人への感謝」「生きることの意味」を凝縮した、横田慎太郎さんそのもののメッセージでした。
彼の言葉と行動は、これからも多くの人の心に灯り続けていくはずです。
それでは、ありがとうございました!

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