経済アナリストとして数多くのメディアに出演し、わかりやすい解説と親しみやすい人柄で多くの人々に愛された森永卓郎さん。
2025年1月、惜しまれつつも67歳でその生涯を閉じました。
しかし、亡くなる直前まで彼が手放さなかったのは「仕事」と、そしてもうひとつの情熱である「ミニカーコレクション」でした。
今回は、森永さんの人生とミニカー愛に焦点を当て、最後まで続いたコレクター魂を振り返ります。
そこで今回は、
森永卓郎とミニカー愛と経済アナリストとしての顔と闘病の日々
森永卓郎のミニカーミニカーに注いだ情熱
森永卓郎の家族に受け継がれたコレクター魂
3つの観点から迫っていきます。
それでうぁ、早速本題に入っていきましょう。
森永卓郎とミニカー愛と経済アナリストとしての顔と闘病の日々

森永卓郎さんは東京大学経済学部を卒業後、経済アナリストとしてテレビ・ラジオ・新聞・雑誌などで活躍し、「庶民目線の経済解説」で幅広い層に親しまれました。
2023年末には「膵臓がんステージ4」と診断され余命宣告を受けますが、彼は病を公表しつつも仕事を最優先にし、最後までラジオやテレビに出演し続けました。
抗がん剤治療は副作用により中断せざるを得ませんでしたが、「原稿を書けないことが一番つらい」と語り、執筆活動を再開。
仕事を“生きるための薬”とし、最期まで経済アナリストとしての役割を全うしようとする姿勢は、多くの人々に勇気を与えました。
森永卓郎のミニカーミニカーに注いだ情熱

森永さんといえば、もうひとつ忘れてはならないのが「ミニカー愛」です。
自宅には膨大なコレクションを展示する「B宝館」を設け、等身大パネルと共に数え切れないほどのミニカーを並べていました。
家族にとっては“困惑するほどの情熱”であっても、本人にとっては経済研究と同じくらい大切なライフワークだったのです。
亡くなった後、次男がパソコンを確認したところ、ネットオークションのカートに最後までミニカーが入ったままだったというエピソードは象徴的です。
森永さんにとって、買い物も収集も「まだ終わっていない日常」の一部だったのです。
森永卓郎の家族に受け継がれたコレクター魂

森永さんの死後、B宝館の膨大なコレクションをどうするか家族は悩みました。
しかし、次男が館長を引き継ぎ、父の情熱を受け止めることを決断しました。
コレクターとしての心を理解し、展示を守り続ける姿勢は、森永さんの思いを未来へとつなげています。
妻・弘子さんは「本人は最後まで死ぬつもりなんてなかった。仕事も買い物も続ける気満々だった」と振り返ります。
その言葉どおり、森永卓郎さんは“終活”よりも“今を生きること”を優先した人でした。
最後まで家族を顧みない一面もあったかもしれませんが、努力し続ける姿を家族はしっかりと見守っていたのです。
まとめ
森永卓郎さんの人生は、「経済を語ること」と「ミニカーを愛すること」に貫かれていました。
余命宣告を受けてもなお、最後まで原稿を書き、ラジオに出演し、そしてネットオークションにミニカーを入れ続けたその姿は、彼の生き方そのものを象徴しています。
「いつ死んでもいいように生きる」と語っていた森永さん。
その言葉どおり、最期まで好きなことに没頭し続けた人生は、多くの人々に強い印象を残しました。
仕事と趣味の両輪で走り抜けた彼の生涯は、これからも語り継がれていくことでしょう。
それでは、ありがとうございました!
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