「白いブランコ」や「さよならをするために」など、日本の音楽史に深く刻まれた名曲を世に送り出してきた兄弟デュオ「ビリー・バンバン」。
その兄である歌手・菅原孝さんが2025年9月11日、肺炎のため81歳でこの世を去りました。
透明感あふれる歌声と誠実な人柄で多くの人に愛された菅原さん。
半世紀以上にわたる音楽活動を振り返りながら、その功績を偲びたいと思います。
そこで今回は、
「白いブランコ」で鮮烈デビュー
解散と再結成、そして新たな代表曲へ
最後まで音楽とともに歩んだ人生
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
「白いブランコ」で鮮烈デビュー

菅原孝さんは東京都出身。弟・進さんとともに1969年に「白いブランコ」でデビューしました。
この楽曲は柔らかなアコースティックサウンドと兄弟ならではの美しいハーモニーで人気を集め、瞬く間にフォーク界の注目を浴びました。
続く1972年にはドラマの主題歌「さよならをするために」が大ヒット。
同年のNHK紅白歌合戦にも出場し、一気に全国区のアーティストへと成長しました。
解散と再結成、そして新たな代表曲へ

1976年に一度は解散したものの、8年後に再結成。
再び活動を軌道に乗せると、長年にわたり焼酎のCMソングを担当し、その中から生まれた「また君に恋してる」は国民的ヒットに。
坂本冬美さんによるカバーがさらに注目を集め、世代を超えて愛される楽曲となりました。
ビリー・バンバンの音楽は時代を越えて人々の心をつかみ続け、日本のフォークソング史に欠かせない存在となったのです。
最後まで音楽とともに歩んだ人生

近年もアニメ映画の挿入歌を担当するなど、菅原孝さんは80歳を超えても精力的に活動を続けていました。
その姿は「音楽とともに生きる」アーティストそのものでした。
弟・進さんは「誠実で優しく、思いやりのある兄。本当に偉大な存在でした」とコメントを寄せ、半世紀以上にわたり共に歩んだ兄弟の深い絆を語っています。
また、フリーアナウンサーの野村邦丸さんも「話題にNGがなく、常にオープンマインドな人だった」とラジオ番組で追悼し、多くの人々がその人柄と功績を偲びました。
まとめ
菅原孝さんの歌声は、時代を超えて人々の心に寄り添い続けてきました。
「白いブランコ」「さよならをするために」「また君に恋してる」――これらの楽曲は、これからも多くの人に歌い継がれていくでしょう。
音楽界に大きな足跡を残した菅原孝さん。
その誠実で優しい歌声は永遠に色あせることなく、私たちの記憶の中で生き続けます。
それでは、ありがとうございました!
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