志村けんさん豪邸が更地に!5年越しの売却と兄が語る遺品の行方!

昭和から令和にかけて、世代を超えて笑いを届けてきた国民的コメディアン・志村けんさん。

2020年3月にこの世を去ってから5年の月日が流れました。

東京・三鷹市にあった志村さんの豪邸は、長らく空き家のままとなっていましたが、このたび解体され、ついに更地として新たな一歩を迎えました。

売却に至るまでの経緯や、兄が語った遺品整理のエピソードからは、志村さんが家族や地域に残した大きな存在感が伝わってきます。

そこで今回は、

志村けんさんの豪邸が更地になるまで

兄が語った遺品整理と家族の想い

更地となった跡地の今後

3つの観点から迫っていきます。

それでは、早速本題に入っていきましょう。

目次

志村けんさんの豪邸が更地になるまで

志村さんが三鷹に豪邸を建てたのは1987年。『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』がスタートした翌年であり、まさに人気絶頂期の頃でした。

敷地は周囲の家2〜3軒分ほどの広さを誇り、緑豊かな環境に囲まれた閑静な住宅街に位置していました。

しかし2020年に志村さんが急逝すると、自宅はそのまま空き家に。

親族が相続しましたが、遺品整理や維持管理の負担から、なかなか処分には踏み切れなかったといいます。

そして2025年に入り、大手不動産会社に売却されることが決まり、3月には解体工事が開始。

半年後には完全に更地となり、長らく残っていたピンク色の瀟洒な家も姿を消しました。

兄が語った遺品整理と家族の想い

今回の売却について、志村さんの3歳年上の兄・知之さんは、複雑な心境を語っています。

「片づけるのは本当に大変でした。最後に行ったのは1月末で、解体前に業者との橋渡しのためでした。

遺品は念書を取って処分しましたが、私が持ち帰ったのは弟が愛用していた帽子ひとつだけです」

多くの思い出が詰まった自宅であっても、実際に保管するとなると大きな負担が伴います。

だからこそ兄が選んだのは、最も弟を象徴する一品を手元に残すことでした。

遺品整理の決断には、寂しさと同時に「一区切りをつけたい」という気持ちがにじんでいます。

更地となった跡地の今後

売却後の跡地は約70坪と広大で、一軒家を建てるには十分すぎる規模だといいます。

地元不動産関係者によれば、今後は土地を北側と南側に分割し、建売住宅として販売される見込みとのこと。

2軒合わせておよそ2億円で売り出される可能性もあるそうです。

豪邸の跡地が新しい住宅地として生まれ変わることは、志村さんが長年暮らした地域に新しい人の流れを生むきっかけとなるでしょう。

かつての「志村けんの家」として記憶される場所は、新たな世代の生活の場として未来に受け継がれていきます。

まとめ

志村けんさんが建てた豪邸は、5年の空白を経て解体・売却され、更地へと姿を変えました。

兄が遺品として持ち帰ったのは帽子ひとつだけ。その選択には、弟を象徴するものを大切に残したいという想いが込められています。

跡地は今後、分割されて新しい住宅地として活用される予定です。

志村さんが残した笑いの遺産はもちろんのこと、彼が暮らした土地もまた新しい形で未来へとつながっていきます。

「だいじょうぶだぁ」と笑いながら、空の上から新しい街並みを見守っているのかもしれません。

それでは、ありがとうございました!

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