上戸彩の出身地は?芸能界デビューを支えた団地育ちの原点とは?

国民的人気女優として、ドラマや映画、CMなど幅広い分野で活躍を続けている上戸彩さん

明るい笑顔と飾らない人柄で、幅広い世代から愛されています。

そんな上戸彩さんについて、

「出身地はどこ?」

「光が丘団地で育ったって本当?」

「出身小学校や中学校は?」

と気になっている方も多いのではないでしょうか。

上戸彩さんの公式プロフィールでは出身地は「東京都」とされていますが、本人はテレビ番組などで東京都練馬区の光が丘団地で育ったことを明かしています。(オスカープロモーション)

しかも、華やかな現在のイメージとは少し違い、幼少期は決して裕福な家庭ではなかったことも本人の口から語られています。

今回は、

上戸彩の出身地は東京都練馬区光が丘

上戸彩の地元の小学校・中学校はどこ?

上戸彩の団地育ちから見える家族思いの原点

という3つの観点から、上戸彩さんのルーツや生い立ちに迫っていきます。

それでは、早速本題に入っていきましょう。

目次

上戸彩の出身地は東京都練馬区光が丘!

上戸彩さんは、1985年9月14日生まれ、東京都出身です

所属事務所の公式プロフィールでは「東京都」とだけ紹介されていますが、上戸さん本人は2024年に出演した日本テレビ系『しゃべくり007』で、東京都練馬区の光が丘団地で暮らしていたことを明かしています。(オスカープロモーション)

つまり、上戸彩さんの「地元」として知られているのが、練馬区光が丘なのです。

光が丘は、都営地下鉄大江戸線の光が丘駅を中心に発展した大規模住宅エリア。

光が丘パークタウンをはじめとする集合住宅が立ち並び、周辺には光が丘公園や商業施設、学校、病院、警察署、消防署なども整備されています。

練馬区も、光が丘について「団地建設に併せて道路、公園、学校施設などの公共公益施設が一体的に整備された地区」と説明しています。(練馬区公式サイト)

上戸さん自身も『しゃべくり007』で、当時の光が丘について、学校だけでなく警察署や消防署、大きな病院、郵便局など生活に必要な施設がそろっていたことを振り返っています。(スポーツニッポン)

まさに、一つの街の中で生活が完結するような大規模住宅地だったことが分かります。

現在では人気女優となった上戸彩さんですが、その原点は東京の華やかな繁華街ではなく、多くの家族が暮らす光が丘の団地にありました。

上戸彩の地元の小学校・中学校はどこ?

上戸彩さんの出身校についても、多くの人が気になっているようです。

インターネット上では、出身小学校として

練馬区立光が丘第六小学校

出身中学校として

練馬区立光が丘第三中学校

の名前が広く挙げられています。

ただし、ここは注意が必要です。

上戸彩さん本人や所属事務所の公式プロフィールでは、小学校・中学校の具体的な校名までは公表されていません。

そのため、「光が丘第六小学校、光が丘第三中学校の出身とされている」という表現にとどめるのが正確でしょう。(学歴トピ!)

なお、光が丘第六小学校はその後、光が丘第五小学校との統合によって練馬区立光が丘夏の雲小学校となっています。

上戸彩さんが芸能界への第一歩を踏み出したのも、小学生時代でした。

小学6年生だった1997年8月、「第7回全日本国民的美少女コンテスト」に出場し、審査員特別賞を受賞します。(写真集屋)

実は、このコンテストに応募したきっかけにも、光が丘団地での生活が関係していました。

上戸さんが2023年のテレビ番組で語ったところによると、団地のポストに入っていた「全日本国民的美少女コンテスト」のチラシを母親が見つけ、応募したのだそうです。(スポーツニッポン)

一枚のチラシが、後に国民的人気女優となる上戸彩さんの人生を大きく変えたことになります。

そう考えると、光が丘は単なる「出身地」ではなく、上戸彩さんの芸能人生が始まった場所でもあるのです。

上戸彩の団地育ちから見える家族思いの原点

上戸彩さんの生い立ちを調べていくと、現在の明るく親しみやすいキャラクターにつながるようなエピソードも見えてきます。

上戸さんは2024年の『しゃべくり007』で、幼少期について家庭が経済的に余裕のある状況ではなかったことを明かしています。

食事では、一つの納豆に卵を混ぜて家族で分けて食べたことなど、当時の生活を振り返っていました。(スポーツニッポン)

さらに注目したいのが、「全日本国民的美少女コンテスト」に応募した理由です。

小学6年生だった上戸さんは、コンテストのチラシに書かれていたグランプリ賞金200万円を見て、そのお金で母親に一軒家をプレゼントしたいと考えたといいます。

芸能界に入ってからも、「母に家を買ってあげたい」という思いが仕事を頑張る原動力の一つになっていたことを明かしています。(スポーツニッポン)

まだ小学生だった少女が、自分のためではなく母親のために家を建てたいと考えていたというエピソードからは、上戸彩さんの家族思いな一面が伝わってきます。

また、光が丘は公園や学校、公共施設などが計画的に配置された大規模住宅地であり、練馬区も地域コミュニティづくりを進めている地区として位置づけています。(練馬区公式サイト)

もちろん、「団地で育ったから現在の人柄になった」と断定することはできません。

しかし、多くの家族や子どもたちが暮らす光が丘という環境の中で成長した経験が、人との距離が近く、親しみやすい現在の上戸彩さんにつながっていると考えると興味深いものがあります。

華やかな芸能界に長く身を置きながら、どこか庶民的で飾らない雰囲気を感じさせることも、上戸彩さんが長く支持されている理由の一つなのかもしれません。

まとめ

今回は、上戸彩さんの出身地や地元の小中学校、光が丘団地での生い立ちについて紹介しました。

上戸彩さんは東京都出身で、本人の発言から練馬区の光が丘団地で育ったことが分かっています。

出身校については、光が丘第六小学校、光が丘第三中学校の名前が広く挙げられていますが、本人や所属事務所が正式に校名を公表しているわけではないため、断定には注意が必要です。

そして何より印象的なのが、団地のポストに入っていた一枚の「全日本国民的美少女コンテスト」のチラシ。

小学6年生だった上戸さんは、母親に家をプレゼントしたいという思いも胸にコンテストへ挑み、審査員特別賞を受賞しました。

その出来事が、後に国民的人気女優となる人生の大きな転機となったのです。

東京都練馬区光が丘は、上戸彩さんが育った街であると同時に、女優・上戸彩の原点ともいえる場所だったのかもしれません。

現在も変わらない上戸彩さんの明るさや親しみやすさ。

その背景を知ると、光が丘で過ごした少女時代が、より身近に感じられるのではないでしょうか。

それでは、ありがとうございました!

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