すし・和食チェーン「がんこ」を一代で築き上げた株式会社GANKOの創業者、小嶋淳司(こじま・あつし)さんが2026年8月19日、老衰のため亡くなりました。91歳でした。
小嶋さんは1963年、大阪・十三にわずか4坪半のすし店を開業。頭に鉢巻きを巻いた「頑固おやじ」の看板でも親しまれ、関西を代表する外食チェーンへと成長させました。
この記事では、小嶋淳司さんの死因や経歴、実家の雑貨店で培った商売の原点、がんこ寿司を成功させた経営手腕、関西経済界に残した功績について紹介します。
小嶋淳司さんが91歳で死去|死因は老衰

小嶋淳司さんは2026年8月19日、老衰のため亡くなりました。91歳でした。
株式会社GANKOによると、葬儀は近親者で執り行われ、喪主は長男で同社社長の小嶋達典(こじま・たつのり)さんが務めました。
後日、お別れの会が開かれる予定ですが、日時や会場などは発表時点で未定です。
小嶋さんは「がんこ」の運営会社で社長、会長、社主を歴任しました。
1963年の創業から半世紀以上にわたり、ブランドの成長と外食産業の発展に携わった人物です。
大阪商工会議所の鳥井信吾会頭は、小嶋さんについて「GANKOを創業し、一代で育て上げられた立志伝中の企業家」と述べ、その死を悼みました。(関西テレビ)
小嶋淳司さんの経歴|実家の雑貨店が商売の原点
小嶋淳司さんは1935年7月16日、和歌山県西牟婁郡上富田町に6人兄弟の末っ子として生まれました。
実家は雑貨店を営んでいましたが、小嶋さんが9歳のときに父親が亡くなったとされています。
その後、和歌山県立田辺高校に通いながら家業を手伝い、高校生で店を切り盛りするようになりました。
この経験を通じて商売の面白さを知り、本格的に経営を学ぶため、22歳で同志社大学経済学部へ進学します。
1962年に大学を卒業すると、大阪の高級すし店で約1年間修業。
すし職人としての技術だけでなく、仕入れや接客、店舗経営についても学びました。(Biz Clip)
当時のすし店には「値段が分かりにくく、一般の人が入りにくい」という印象がありました。
小嶋さんは、価格を明確にして気軽に利用できる店にすれば、すしをより多くの人に楽しんでもらえると考えたのです。
大阪・十三の4坪半から「がんこ寿司」を創業
1963年4月、小嶋淳司さんは大阪・十三に4坪半の小さなすし店を開きました。
これが、現在の「がんこ」の原点です。
創業当時は小規模な店舗でしたが、わずか2年後の1965年には大型の十三寿司店を開店。
株式会社GANKOの公式沿革では、当時106席を備えた大型すし店として注目されたと紹介されています。(株式会社GANKO・沿革)
1969年には小嶋商事株式会社を設立して社長に就任し、1980年に「がんこフードサービス株式会社」へ社名を変更。
その後、すしだけでなく、和食、炉端料理、とんかつ、回転ずし、屋敷型店舗などへ業態を広げていきました。
特に、歴史ある邸宅や庭園を生かした「お屋敷」シリーズは、食事と日本文化を同時に楽しめる独自の店舗として、がんこを象徴する事業の一つになっています。
なお、店舗数は開店や閉店によって変動します。
過去には100店舗規模まで拡大した時期がありますが、現在の正確な店舗数については、公式サイトの店舗一覧で確認するのが確実です。
頑固おやじの看板は小嶋淳司さんがモデル
「がんこ」と聞いて、鉢巻きを巻いた頑固そうな男性のイラストを思い浮かべる人も多いでしょう。
この看板の男性は、小嶋淳司さんの若い頃をモデルにしたものです。
親しみやすく、一度見たら忘れにくいデザインは「がんこ」の知名度を高めるうえで重要な役割を果たしました。
店名の「がんこ」には、品質や商売へのこだわりを貫く姿勢も表れています。
小嶋さんは店舗の現場を重視し、接客や料理、価格、働く人の育成に目を配りながら、店づくりの仕組みを整えていきました。
1973年には十三本店の地下にセントラルキッチンを開設。店舗の拡大に対応しながら、料理の品質を安定させる体制を早い段階から構築しています。
関西経済界や外食産業にも大きく貢献
小嶋淳司さんの活動は、「がんこ」の経営だけにとどまりません。
1995年には大阪外食産業協会の会長に就任。日本フードサービス協会の会長も務め、外食産業の人材育成や地位向上に取り組みました。
さらに、2006年度と2007年度には関西経済同友会の代表幹事を務めました。
中堅企業の経営者としては初めて代表幹事に就任し、大企業中心だった経済団体に現場の視点を持ち込んだことでも評価されています。(関西経済同友会)
大阪商工会議所では副会頭を歴任したほか、「なにわ淀川花火大会」の大会会長として地域の活性化にも尽力しました。
こうした功績が認められ、2005年には藍綬褒章、後には旭日中綬章を受章しています。
小嶋淳司さんの長男・達典さんが社長を務める
小嶋淳司さんの長男・小嶋達典さんは、2018年8月にがんこフードサービスの代表取締役社長へ就任しました。
達典さんは1968年に大阪市で生まれ、佛教大学を卒業。料理店や三洋電機での勤務を経て、1997年にがんこフードサービスへ入社しました。
店舗勤務、商品企画、営業本部長などを経験し、経営を引き継いでいます。
現在の株式会社GANKOは、小嶋達典社長を中心とした経営体制となっており、創業者が築いたブランドや商人精神を受け継ぎながら、新しい業態にも挑戦しています。(株式会社GANKO・会社概要)
まとめ
株式会社GANKOの創業者・小嶋淳司さんは、2026年8月19日に老衰のため91歳で亡くなりました。
和歌山県の雑貨店で商売の基礎を学び、同志社大学卒業後にすし店で修業。1963年、大阪・十三の4坪半の店から「がんこ寿司」をスタートさせました。
明確な価格設定や親しみやすい看板、現場を重視した店舗運営によって事業を拡大し、関西を代表する外食チェーンへと成長させています。
また、関西経済同友会代表幹事や大阪商工会議所副会頭などを務め、外食産業と関西経済の発展にも貢献しました。
小嶋さんが築いた「がんこ」のブランドと、商売に妥協しない経営姿勢は、長男の達典さんをはじめ、次の世代へ受け継がれていくことでしょう。
それでは、ありがとうございました!

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