TBS系『THE TIME,』などに出演し、親しみやすいキャラクターで注目されているフリーアナウンサーの原千晶(はら・ちあき)さん。
原千晶アナについて調べると、「なぜ医学部に6浪したの?」「両親も医者なの?」「実家は病院を経営している?」と、その家族や異色の受験歴に関心を持つ人が多いようです。
原千晶アナの父親は開業医、母親は歯科医師です。両親が医療に携わる家庭で育ったことは、医学部を志す背景の一つになりました。
ただし、両親から医学部進学を強制されたわけではありません。原千晶アナ自身が高校3年生の秋に医学部受験を決意し、合格を目指して6年間挑戦を続けました。
最後の受験では、久留米大学医学部の合格ラインまで「あと2点」に迫っていたといいます。
そこで今回は、
原千晶アナの父親と母親の職業
原千晶アナが医学部を目指したきっかけ
6浪まで医学部を諦めなかった理由
3つの観点から、原千晶アナの家族と受験時代について詳しくご紹介します。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
原千晶アナの父親は開業医・母親は歯科医師

原千晶アナは、両親が医療に携わる家庭で育ちました。
本人がインタビューで明かした内容によると、父親は開業医、母親は歯科医師です。
父親については「開業医」と公表されているため、勤務医ではなく、自ら医療機関を開設して診療していたと考えられます。
一方の母親も歯科医師として働いていました。
父親が医師、母親が歯科医師という家庭環境であれば、幼い頃から医療の仕事を身近に感じる機会が多かったことでしょう。
医師や歯科医師として働く両親の姿を見ながら成長したことが、原千晶アナの進路にも影響を与えたようです。
ただし、原千晶アナの実家の病院名や歯科医院名、所在地などは、本人や所属事務所から公表されていません。
原千晶アナは福岡県出身ですが、父親が福岡県内のどの病院やクリニックを経営していたのかまでは確認できませんでした。
インターネット上で特定の医療機関と結び付ける情報があったとしても、本人による裏付けがなければ断定すべきではないでしょう。
また、両親が医療従事者だからといって、原千晶アナが医学部への進学を強制されたという事実も確認されていません。
むしろ本人の発言を見ると、最終的に医学部を目指すことを決めたのは、原千晶アナ自身だったことが分かります。
原千晶アナが医学部を目指したきっかけ
原千晶アナが本格的に医学部を目指し始めたのは、高校3年生の11月頃でした。
きっかけの一つとなったのが、友人の兄が医学部に合格したという話を聞いたことです。
父親が医師であることも大きな影響を与えましたが、子どもの頃から一貫して医師だけを目指していたわけではなかったようです。
高校3年生の秋に身近な人物の医学部合格を知り、「自分も医師を目指したい」という気持ちが具体的になりました。
しかし、医学部受験を決意した時期としては遅いスタートでした。
原千晶アナは高校生活を楽しんでいたため、それまで受験勉強に十分取り組んでいなかったと振り返っています。
初めて受けた予備校の模試ではE判定でした。
現役時代には、福岡県内にある私立大学の医学部を1校受験しましたが、合格できませんでした。
高校3年生の11月から準備を始め、難関の医学部に現役合格するのは簡単ではありません。
原千晶アナ自身も、後に「浪人前提で受験生活をスタートさせたような感じ」と振り返っています。
現役時代の不合格は、医師になることを諦める理由にはなりませんでした。
準備期間が短く、まだ十分な実力を身につけられていないという自覚があったからこそ、浪人して本格的に医学部を目指す道を選んだのでしょう。
原千晶アナはなぜ医学部に6浪した?
原千晶アナが6浪まで医学部受験を続けた最大の理由は、医師になりたいという気持ちが強かったからです。
浪人1年目は医学部専門の予備校に通い、寮生活を送りました。
2年目も同じ系列の一般予備校に通い、引き続き寮で勉強に集中します。その後の3浪目から5浪目までは実家に戻り、別の予備校に通いました。
最後となる6浪目には、優れた講師が集まっていると聞いた京都の予備校へ移り、再び寮生活を始めています。
浪人中はアルバイトをせず、テレビもほとんど見ない生活を送りました。遊びに出かける機会も少なく、6年間を受験勉強に費やしています。
それでも最初の1、2年は、医学部の合格点まで大きな差がありました。
本人も「いつか受かるだろう」と考えており、浪人期間に明確な期限を設けていなかったといいます。
ところが、勉強を続けるうちに成績が上がり、少しずつ医学部合格へ近づいていきました。
成績がまったく伸びなければ、早い段階で別の進路を検討した可能性もあります。しかし、努力の成果が数字に表れたことで、「次こそは合格できる」という期待が強くなったのでしょう。
3浪目や4浪目の頃には、高校時代の担任から医学部以外の大学も受験するよう勧められていました。
それでも、原千晶アナのなかに「医学部を諦める」という選択肢はなかったそうです。
父親と同じ医師になりたいという思いに加え、ここまで受験勉強を続けてきたのだから、医師の資格を取得したいという気持ちも強くなっていました。
6浪を重ねて後戻りできなくなっていた
原千晶アナが医学部受験を続けた背景には、浪人を重ねるほど別の進路を選びにくくなるという事情もありました。
4浪を過ぎる頃には、高校時代の同級生が大学を卒業して就職し、結婚する人も現れます。
周囲が人生の次の段階へ進んでいく一方、自分は高校卒業後から変わっていないように感じ、不安を抱えていたといいます。
医学部を諦めて一般企業への就職を目指そうとしても、多浪した経歴では厳しいのではないかという心配もありました。
医師になりたいという気持ちが一番にあったものの、それまで費やした時間や努力も、医学部受験をやめにくくする要因になったようです。
原千晶アナ自身も、浪人を重ねるうちに「後戻りができない状況」になったと振り返っています。
これは、両親が医療従事者だったから何としても医師にならなければならない、という単純な話ではありません。
医師への憧れ、上がっていく成績、これまで積み重ねた努力、進路を変更することへの不安が重なり、6浪まで挑戦を続ける結果になったのでしょう。
6浪目は久留米大学医学部の合格まであと2点
5浪目も不合格だった原千晶アナは、家族と話し合い、6浪目を最後の受験にすると決めました。
最後の1年は京都の予備校の寮に入り、医学部合格に向けて勉強に集中します。
6浪目に最も自信を持って受験したのが、久留米大学医学部でした。
しかし、結果は不合格でした。
原千晶アナが点数の開示請求を行ったところ、合格ラインまで「あと2点」だったことが判明します。
6年間努力を続け、ようやく合格が見える位置まで学力を伸ばしたにもかかわらず、わずか2点届かなかったのです。
あと1問正解していれば、原千晶アナは医師への道を歩んでいたかもしれません。
それでも、家族と「6浪目で最後にする」と決めていたため、7浪目には進みませんでした。
両親からは、医学部以外へ進学するのであれば、実家から通える大学にするよう提案されたそうです。
そこで後期日程で福岡大学理学部数学科を受験し、合格。その後、福岡大学理学部応用数学科を卒業しました。
医学部への未練が残っていたため、当初は福岡大学への合格を素直に喜べず、入学式にも出席しなかったといいます。
しかし、父親から、何度も挑戦できた環境に感謝するよう諭されたことで考え方が変わりました。
原千晶アナは、6年間を失った時間として捉えるのではなく、今の自分にできることや強みを見つけようと前を向き始めます。
医学部6浪の経験からアナウンサーの道へ
福岡大学へ進学した原千晶アナは、大学在学中に神社の「福娘」や宝くじの「幸運の女神」を経験しました。
人前で話して情報を伝える仕事にやりがいを感じ、アナウンサーを目指すようになります。
大学卒業後の2017年4月、テレビ山口へアナウンサーとして入社しました。
テレビ山口では『ちぐスマ!』や『mix』などの番組を担当。2023年9月に退社し、同年10月からセント・フォース所属のフリーアナウンサーとして活動しています。
現在はTBS系『THE TIME,』やTOKYO FM『ラジオのタマカワ』などに出演しています。
原千晶アナは、医学部を目指した6年間で得たものとして、失敗しても気持ちを切り替える力、自分の軸を保つ力、孤独に耐える力を挙げています。
医学部合格という目標は達成できませんでしたが、何度失敗しても挑戦する精神力は、その後のアナウンサー人生に受け継がれました。
医学部への6年間の挑戦がなければ、現在の原千晶アナも誕生していなかったのかもしれません。
まとめ
今回は、「原千晶アナはなぜ医学部に6浪?父親は開業医・母親は歯科医師だった!」と題して、原千晶アナの両親や医学部受験についてご紹介しました。
原千晶アナの父親は開業医、母親は歯科医師です。
医療に携わる両親を見て育ったことは、医学部を志す背景の一つになりました。ただし、両親から強制されたのではなく、高校3年生の秋に友人の兄が医学部に合格した話を聞き、自分の意思で受験を決めています。
現役時代は模試でE判定でしたが、浪人を重ねるうちに成績が上昇。「次こそは合格できる」という思いに加え、長い浪人歴で別の進路へ移る不安もあり、6浪まで挑戦を続けました。
最後に受験した久留米大学医学部では、合格ラインまであと2点に迫りましたが、不合格となりました。
その後は福岡大学理学部応用数学科を卒業し、テレビ山口を経てフリーアナウンサーとして活躍しています。
両親と同じ医療の道には進みませんでしたが、6年間の浪人生活で身につけた粘り強さは、現在の仕事にも生かされているのでしょう。
今後も原千晶アナが、その経験を強みにどのような活躍を見せてくれるのか注目していきたいですね。
それでは、ありがとうございました!

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