タレントとしてテレビやバラエティ番組などで活躍している井上咲楽さん。
飾らない明るいキャラクターや料理好き、マラソンに取り組む姿など、幅広い分野で注目されています。
そんな井上咲楽さんについて、
「実家ってどこにあるの?」
「本当に山奥で育ったの?」
「4姉妹って本当?」
と気になっている方も多いのではないでしょうか。
実は井上咲楽さんの実家は、陶器の「益子焼」で有名な栃木県芳賀郡益子町にあります。
しかも町の中心部ではなく、周囲に家や店がほとんどない山の中。
薪でお風呂を沸かし、炊飯器ではなく土鍋でご飯を炊くという、都会とは大きく異なる環境で4姉妹が育ったそうです。
そこで今回は、
井上咲楽の実家はどこ?益子町の山奥にある一軒家
井上咲楽の実家は薪風呂!自然の中で身についた生活力
井上咲楽は4姉妹の長女!妹たちとの驚きの生活
という3つの観点から、井上咲楽さんの実家や家族について詳しく見ていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
井上咲楽の実家はどこ?栃木県益子町の山奥にある一軒家

井上咲楽さんの実家があるのは、栃木県芳賀郡益子町です。
益子町といえば「益子焼」の産地として全国的に知られ、陶器市の時期には多くの観光客が訪れる町です。
しかし、井上さんが育った家は観光客でにぎわう中心部ではなく、かなり自然豊かな山の中にあります。
東京都のインタビューでも井上さん自身が、実家について「栃木県益子町の山の中にある一軒家」と説明しており、周辺にはほかの家や店もほとんどない環境だったことを明かしています。(東京ボランティアレガシーネットワーク)
テレビ東京の企画で実家を訪れた際には、スタッフが目的地付近まで来ても家を見つけられず、近所の人に案内してもらったほど。
民家が本当にあるのか不安になるような山道を進んだ先に、ログハウス風の井上家が現れたと紹介されています。
まさに「ポツンと一軒家」という言葉が似合う環境だったようですね。
井上さんがこの家で暮らし始めたのは、小学校1年生のころ。
それ以前は益子町の隣町の市街地にある賃貸住宅で暮らしていました。
両親には以前から「自然に囲まれた場所で、周囲を気にせず自由に暮らしたい」という思いがあったそうです。
そして土地を見つけ、山の中での暮らしを始めました。(CHANTO WEB)
井上さんは幼いころ、父親に「キャンプに行くぞ」と何度も山へ連れて行かれていたそうです。
ところが、その場所は普通のキャンプ場ではありませんでした。
訪れるたびに少しずつ土地が切り開かれていき、やがて家が建ち始めます。
井上さんは「誰の家なんだろう」と思っていたそうですが、完成後に引っ越してみると、なんと自分たち家族が住む家だったのです。(kodomoe(コドモエ)—「親子時間」を楽しむ子育て情報が満載!)
子どもにとっては、かなり驚きの引っ越しだったのではないでしょうか。
ちなみに、「井上咲楽さんの父親が家をすべて自分で建てた」という情報も見かけます。
しかし井上さん本人は、この点について「家は設計士さんに建ててもらった」と訂正しています。
父親が手掛けたのは、室内の家具や壁など細かな部分だったとのこと。
本棚やテーブルなども父親の手作りで、ものづくりが身近にある家庭だったことがうかがえます。(CHANTO WEB)
井上咲楽の実家は薪風呂!山奥で身についた驚きの生活力
井上咲楽さんの実家で特に驚かされるのが、その暮らし方です。
井上家では、お風呂を薪で沸かし、リビングの暖房にも薪ストーブを使用していました。
テレビ東京が実家を訪問した際にも、庭には大量の薪が積まれ、昔ながらの薪風呂が紹介されています。
東京都のインタビューでも井上さんは、お風呂もストーブも薪を使っていたことを明かしています。(東京ボランティアレガシーネットワーク)
さらに驚くのが食生活です。
井上家では当時、炊飯器を使わず、4姉妹全員が幼いころから土鍋でご飯を炊けるように教えられていたそうです。
実家の近くにはコンビニやスーパーがなく、親が家にいなければ自分たちで食事を作る必要がありました。
そのため母親からは、ご飯だけでなく味噌汁や卵焼きなど、基本的な料理を作れるよう教えられていたと井上さんは語っています。(ほぼ日)
現在、井上咲楽さんは料理上手としても知られています。
自炊の様子をSNSで発信したり、料理本を出版したりしていますが、その原点には益子町の実家での生活があったのかもしれません。
井上家では「使えるものはできるだけ捨てない」という考えも徹底されていました。
着なくなったTシャツや古いタオルは食器の油汚れを拭くために再利用。
生ごみはコンポストに入れて堆肥にし、紙などの資源ごみもしっかり分別していたそうです。
しかも、山の下にあるごみ置き場までは歩いて約5分。
井上さんは子どものころ、ランドセルを背負いながら大きなごみ袋を持って山を下りていたと振り返っています。(東京ボランティアレガシーネットワーク)
現在の井上さんが環境問題やサステナブルな暮らしに関心を持っている背景には、こうした幼少期の経験も大きく影響しているのでしょう。
一方で、子どものころから山奥暮らしを気に入っていたわけではありません。
近くにはスーパーもコンビニもなく、駅も遠い環境。
小学校や中学校へは片道約2キロを歩いて通っていたそうです。
井上さん自身、高校生ぐらいまでは都会の便利な生活に憧れ、山で暮らすことを嫌だと感じていた時期もあったと明かしています。(CHANTO WEB)
ところが上京してから、その考えは変わっていきました。
東京で実家の話をすると周囲から珍しがられ、自分にとって当たり前だった暮らしが特別だったと気づいたそうです。
かつては不便に感じていた益子の実家も、現在では心が落ち着く大切な場所になっているようです。
井上咲楽は4姉妹の長女!妹たちと育った山奥生活
井上咲楽さんは、4姉妹の長女として育ちました。
両親と娘4人の6人家族です。
東京都のインタビューでも「両親と4人姉妹の6人家族」と本人が説明しています。(東京ボランティアレガシーネットワーク)
妹たちとはそれぞれ年齢が離れており、井上さんによると、すぐ下の妹とは2歳差、その次の妹とは4歳差、末っ子とは11歳差なのだそうです。(kodomoe(コドモエ)—「親子時間」を楽しむ子育て情報が満載!)
11歳下の妹がいるというのは、4姉妹ならではの年齢構成ですね。
井上さんは妹たちが生まれた際、出産にも立ち会ったと語っています。
幼いころから母親を手伝い、妹のおむつを替えたり、お風呂に入れたりすることもあったそうです。
特に年齢の離れた妹については、単なる妹というより「自分の子どものような感覚」があるほど世話をしてきたことを明かしています。(kodomoe(コドモエ)—「親子時間」を楽しむ子育て情報が満載!)
井上さんのしっかりした性格には、「4姉妹の長女」として育った経験も関係しているのかもしれません。
そして井上家では、4姉妹全員に生活力を身につけさせる教育がされていました。
土鍋でご飯を炊くことや料理だけではなく、壊れたものは直して使い、ごみをなるべく増やさない生活を送っていました。
家の周りには自然が広がり、子どものころには近所の男の子とカブトムシを捕まえて遊ぶこともあったそうです。
また井上さんは過去のインタビューで、実家について「山のてっぺんを切り拓いて作った家」と表現し、イノシシが出るほど自然豊かな環境だったことも明かしています。(Deview)
都会で育った人からすれば少し不便に感じる生活ですが、井上さんにとっては、この自然環境が現在の自分自身を形作った大切な原点となっています。
「家は山の上だった」と振り返り、都会との距離があったからこそ周囲と自分を比較せずに育つことができ、自分の個性が形成されたのではないかとも語っています。(ERCA)
芸能界でも独自のキャラクターで活躍している井上咲楽さん。
その自然体な魅力の背景には、益子町の山奥で4姉妹とともに過ごした幼少期があったのでしょう。
まとめ
今回は、**「井上咲楽の実家ってどこ?益子町の山奥で育った驚きの4姉妹生活とは」**というテーマで、井上咲楽さんの実家や家族についてご紹介しました。
井上咲楽さんの実家は、栃木県芳賀郡益子町の山の中にあります。
小学校1年生ごろからこの場所で暮らし始め、両親と4姉妹の6人家族で自然に囲まれながら成長しました。
家では薪でお風呂を沸かし、薪ストーブを使用。
炊飯器を使わず土鍋でご飯を炊き、4姉妹は幼いころから料理や家事を覚えていたといいます。
また、井上さんは4姉妹の長女で、妹たちとは2歳差、4歳差、11歳差。
年の離れた妹のおむつを替えたり、お風呂に入れたりするなど、長女として妹たちの世話もしてきました。
子どものころは「田舎が嫌だった」と感じていた井上さんですが、上京してからは実家の環境の素晴らしさに気づき、現在では心が落ち着く大切な場所になっているようです。
料理や環境問題への関心、そして飾らない自然体なキャラクター。
現在の井上咲楽さんの魅力をたどっていくと、その原点には益子町の山奥で家族6人、4姉妹で過ごした暮らしがあったのかもしれません。
今後も井上咲楽さんが、どのような活躍を見せてくれるのか注目していきたいですね。
それでは、ありがとうございました!

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