「鰻(うなぎ)」という苗字を初めて耳にしたとき、多くの人はこう感じるのではないでしょうか。
――それは本名なのか、芸名なのか。
お笑いコンビ 銀シャリ のツッコミ担当として知られる 鰻和弘 さんは、その珍しすぎる苗字ゆえに、幼少期から数々の経験をしてきました。
現在では「覚えてもらいやすい」「武器になる名前」と語っていますが、そこに至るまでの道のりは決して楽なものではありませんでした。
本記事では、苗字が原因で味わったいじめや勘違い、そしてそれが“笑い”へと変わっていくまでの過程を、時系列で整理していきます。
そこで今回は、
銀シャリ鰻和弘の苗字が原因のいじめ
銀シャリ鰻和弘の苗字で鰻屋と勘違いされる日々
銀シャリ鰻和弘の苗字で同じ質問を何万回もされて鍛えられた力
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
銀シャリ鰻和弘の苗字が原因のいじめ

鰻和弘さんが自身の苗字を素直に好きになれなかった時期、それは小学生時代でした。
クラスでは
- 「おい、穴子!」
- 「鮪(まぐろ)!」
- 「鰯(いわし)!」
といった具合に、魚の名前でからかわれることが日常的だったそうです。
しかも、どの魚の名前で呼ばれても返事をしなければならない、という空気があったといいます。
さらに、
「(うなぎだから)ヌルヌルしてる」
と言われながら体を触られることもあり、苗字という自分では変えられない要素が、からかいの対象になっていました。
この頃の鰻さんにとって「鰻」という苗字は、個性や誇りではなく、目立ってしまう原因だったのです。
銀シャリ鰻和弘の苗字で鰻屋と勘違いされる日々

苗字による影響は、学校の外にも及んでいました。
当時使われていた電話帳「ハローページ」には、一般家庭と店舗の電話番号が同じように掲載されていました。
そのため、「鰻」という苗字だけで鰻屋と勘違いされてしまうケースが頻発していたのです。
実際に、
- 「鰻の配達をお願いします」
- 「今日は営業していますか?」
といった電話が、週末になると10件以上かかってくることもあったそうです。
対応する家族、とくにお母さんのストレスは相当なものだったようで、最終的には
「土日は電話線を抜いて生活していた」
という対策を取るまでになりました。
苗字ひとつで、家庭の日常生活にまで影響が出てしまう。
このエピソードからは、珍しい苗字が必ずしもメリットばかりではないことが伝わってきます。
銀シャリ鰻和弘の苗字で同じ質問を何万回もされて鍛えられた力

転機となったのは、芸人として活動を始めてからでした。
鰻和弘さんは、
- 「それは本名ですか?」
- 「芸名じゃないんですか?」
- 「本当に“鰻”って書くんですか?」
といった質問を、何万回も受けてきたと語っています。
しかし、その繰り返しが結果的に、
- どう返せば場が和むのか
- どう話せば相手が笑ってくれるのか
といったコミュニケーション能力を大きく鍛えることになりました。
現在では、
「結局、今は好きになりました」
と語るほど、苗字に対する捉え方は大きく変わっています。
芸人という仕事において、「一度聞いたら忘れられない名前」は大きな武器です。
かつては苗字のせいで笑われていた少年が、今では苗字を使って人を笑わせる存在になったのです。
まとめ
鰻和弘さんの人生を振り返ると、はっきりと見えてくることがあります。
- 苗字は生まれつき決まっている
- 嫌な経験を避けられないこともある
- しかし、それをどう受け止め、どう活かすかは変えられる
かつてはコンプレックスだった「鰻」という苗字は、今では覚えてもらえる・話題になる・笑いに変えられる強力な個性となりました。
珍しすぎる苗字がもたらした数奇な人生。
それを“弱点”のまま終わらせず、“武器”に変えたところに、鰻和弘さんという芸人の本質があるのかもしれません。
苗字に悩んだ経験がある人ほど、心に響くエピソードではないでしょうか。
それでは、ありがとうございました!

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