歌舞伎界の名脇役として長年愛され、“二郎ちゃん”の愛称で多くの仲間から慕われた四代目・片岡亀蔵さん。
突然の訃報が発表されたのは、2025年11月24日。
この知らせは、歌舞伎の世界に深い衝撃を与えました。
なぜなら、亀蔵さんはその“最後の日”に至るまで、実に精力的に日常を送り、ブログも更新していたからです。
まるで、いつもと変わらぬ生活の延長にいたかのような姿が、そこに残されていました。
この記事では、「最後の72時間」 に焦点を当て、ブログ更新・外出・交流──そして突然の火災へと至るまでの流れを、丁寧にたどります。
そこで今回は、
片岡亀蔵の11月22日──東京ドームでの“お別れ会”と静かな心境
片岡亀蔵の11月23日~24日午前──穏やかな日常と“最後のブログ更新”
片岡亀蔵の11月24日午前──突然の火災、そして訪問先で迎えた最期
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
片岡亀蔵の11月22日──東京ドームでの“お別れ会”と静かな心境

片岡亀蔵さんが最後の3日間をスタートさせたのは、11月22日。
向かった先は、東京ドームで行われた「ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄さんのお別れの会」でした。
彼のブログによると、「物心ついた頃からの長嶋ファンとして、純粋にお参りしたかった」と綴っています。
会場中央には笑顔の長嶋監督の姿が映し出され、亀蔵さんは深く手を合わせた──その描写が淡々とした筆致で記されていました。
その文章には、
● 長年の憧れの人を送り出すという静かな決意
● 一つの時代の終わりを見つめる眼差し
● そして人生の節目を受け止める落ち着いた心
がにじんでおり、この日が彼にとって特別な“区切り”の1日だったことが感じられます。
体調の変化を示すような言及はなく、読者から見ても「いつもの亀蔵さん」そのものでした。
片岡亀蔵の11月23日~24日午前──穏やかな日常と“最後のブログ更新”

翌日の11月23日、そして最終日となる24日へ。
この24時間の中で、亀蔵さんは複数の仕事の準備を行い、ブログも更新しています。
24日付のブログ「モジュラージャケット」では、美術展の取材衣装として選んだジャケットについて、担当者との会話や配信予定の話題に触れ、“次回配信をお楽しみに”と結んでいます。
そこにあるのは、完全に“未来へ続く文章”でした。
● 美術展ナビの収録が控えている
● 衣装のコーディネイトを楽しんでいる
● 12月の配信を読者に告知している
まるで新しい仕事への意欲を語るような姿は、最後のブログが「別れ」ではなく「日常の延長」であったことを示しています。
この時点でも、周囲の友人や同業者から「体調を心配する声」は出ておらず、むしろ次の舞台、次の出演に向けて動き続けるいつものペースでした。
片岡亀蔵の11月24日午前──突然の火災、そして訪問先で迎えた最期

そして運命の11月24日午前4時ごろ。
片岡亀蔵さんは、自宅ではなく知人の男性が住む 足立区の菓子工場兼住宅 の3階にいました。
その理由は、
● 交流の一環だったのか
● 打ち合わせや私的な訪問だったのか
詳細はまだ明らかにされていません。
しかし、彼はこの知人男性と共に3階におり、兄が2階で無事に脱出したのとは対照的に、片岡亀蔵さんと男性は煙を吸って身動きが取れなくなったとみられています。
火災は約2時間後に鎮火しましたが、搬送された亀蔵さんは 一酸化炭素中毒 により死亡が確認されました。
前日まで普通にブログを更新していた人物の突然の最期──その落差は、歌舞伎界の仲間に大きな衝撃を与え、
● 「間違いであってほしい」
● 「嘘だろ、二郎ちゃん」
● 「数日後に稽古で会うはずだったのに」
と悲痛な声が相次ぎました。
これは、亀蔵さんが“最後の最後まで舞台の時間を生きていた”ことの証でもあります。
まとめ
片岡亀蔵さんの最後の72時間は、いつもと変わらぬ日常、仲間への敬意、そして次の仕事への意欲に満ちた時間でした。
● 長嶋茂雄さんのお別れ会に出向き、深く手を合わせた22日
● ブログを更新し、未来の仕事を楽しみに語った23~24日
● そして、誰も予想できなかった24日早朝の火災
この3日間は、“生涯をかけて表現を続けた役者が、最後まで舞台に向かう姿勢を崩さなかった”とも言える時間でした。
突然の別れではありましたが、亀蔵さんが残した人柄、声、存在感、そして寄り添うようなユーモアは、これからも多くの舞台ファンの心の中で生き続けることでしょう。
それでは、ありがとうございました!

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