ムーンライダーズ初代ギタリストとして名を刻み、その後は山下達郎バンドの要として、さらに編曲家・プロデューサーとして数々の名曲を“裏側”から支えた椎名和夫さん。
2026年2月に訃報が伝えられ、あらためて「この人がいたから成立した音」が多かったことに気づかされます。
この記事では、公表情報ベースで経歴の流れと、功績(何がすごかったのか)を分かりやすくまとめます。
そこで今回は、
椎名和夫の経歴(年表感覚でわかる流れ)
椎名和夫の功績(何がすごかったかを3本柱で)
椎名和夫の経歴と功績からわかる権利活動と人柄
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
椎名和夫の経歴(年表感覚でわかる流れ)

出発点:ムーンライダーズ“初代ギタリスト”として登場
椎名和夫さんは、ムーンライダーズ結成に参加し、初代ギタリストとして活動した人物として紹介されています。
学歴・経歴の骨格として「東京学芸大学付属高等学校卒業後、ムーンライダーズ結成に参加」と整理されている資料もあります。
そして重要なのが、椎名和夫さんの初期は「ギターだけ」ではない点。
ギターマガジンの解説では、当時からヴァイオリンも弾きつつ活動していたこと、またアルバム1枚でグループを離れた流れが明記されています。
転機:脱退後は“スタジオ・ミュージシャン/セッション”へ
ムーンライダーズ脱退後は、スタジオ・ミュージシャン、編曲、プロデュースへ軸足を移し、井上陽水、吉田美奈子、RCサクセション、甲斐よしひろ、中島みゆき等、幅広い現場を担った、と公的資料のプロフィールで整理されています。
主戦場:山下達郎バンドに長年参加
椎名和夫さんの知名度を“決定打”にしたのが、山下達郎バンドへの長年の参加。
訃報報道でも、山下達郎バンドに長年参加したギタリストとして紹介されています。
椎名和夫の功績(何がすごかったかを3本柱で)

功績①|「弾ける」だけじゃない:サウンド作りに強い“現場の職人”
追悼コメントの報道では、椎名さんがギタリストでありながらシンセや電子機器に強く、サウンド作りに貢献していたという証言が出ています。
ここが“職人”と呼ばれる理由の一つ。
単に演奏が上手いだけでなく、作品の土台となる音の設計に踏み込めるタイプだった、ということです。
功績②|編曲家としての到達点:中森明菜「DESIRE」でレコード大賞
椎名さんの編曲家としての代表的功績として、1986年に編曲を手がけた中森明菜「DESIRE -情熱-」が日本レコード大賞を受賞したことが、複数の媒体・資料で確認できます。
つまり椎名和夫は、表舞台のアーティストではなくても、“日本のヒット曲の中心”にクレジットされるレベルまで登りつめた人なんですね。
功績③|早い段階から“デジタル/打ち込み”へ:スタジオ運営と制作の先見性
ギターマガジンの解説では、1986年にスタジオ・ペニンシュラを設立し、打ち込みやデジタル・レコーディングに早くから取り組んだ流れが示されています。
さらに立命館側のプロフィール資料でも、スタジオ・ペニンシュラ設立とレコ大受賞が同年に並び、活動の厚みが分かります。
椎名和夫の経歴と功績からわかる権利活動と人柄

後年の大仕事:演奏家の権利を守る活動
椎名さんは、後年にミュージシャンの著作権保護・著作隣接権の課題に取り組み、MPN設立にも尽力した、と訃報記事で整理されています。
WikipediaでもMPN会長等の肩書きが記載されています。
ここは“功績”としてかなり大きいです。ヒット曲を作る/弾く人は多い。
でも、演奏家が正当に守られる仕組みを作る側に回る人は少ない。
椎名さんはその少数派でした。
人柄が見えるエピソード:闘病と、仲間たちの追悼
報道では、長く闘病していたこと、昨年夏に体調が好転したタイミングで仲間と食事会があったことなど、近況が伝えられています。
音楽家同士の距離感がそのまま“人物像”になるタイプの話で、盛らずに紹介しやすい部分です。
よく検索される「嫁(妻)・子供」はどこまで書ける?
結論から言うと、現時点で主要な報道・公的プロフィール類では、妻の実名・子どもの人数や詳細まで確定的に書ける材料は見当たりません。
したがってブログでは、
- 「家族の詳細は公表情報が薄いので断定しない」
- 「“一般人の可能性が高い”などの推測で人物像を作らない」
この線引きが安全です(検索需要は高いですが、ここで盛ると一気に危険ゾーンに入ります)。
まとめ
椎名和夫さんは、ムーンライダーズ初代ギタリストとしてキャリアを始め、脱退後はスタジオ/セッションの現場で信頼を積み上げ、山下達郎バンド参加で“音の中核”を担いました。
さらに編曲家として中森明菜「DESIRE」でレコード大賞級の結果を残し、後年は演奏家の権利を守る活動にも注力。
まさに「弾く・作る・守る」で音楽界を支えた“職人”だったと言えます。
それでは、ありがとうございました!

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