「スマイリー原島」と聞くと、のちに大型フェスのMCやラジオの顔として活躍した“現場の人”という印象が強いかもしれません。
けれど原点をたどると、熊本市生まれ・福岡市育ちの青年が、会社勤めを経て博多でバンドを立ち上げ、ついに徳間ジャパンからメジャーデビューへ辿り着く――そんな熱量の塊みたいなストーリーが見えてきます。
この記事では「アクシデンツ結成(1982年)」から「メジャーデビュー」までを、“若い頃”に絞って整理していきます。
そこで今回は、
スマイリー原島の若い頃の“後輩”として近づいた現場
スマイリー原島の若い頃の1982年「アクシデンツ」結成
スマイリー原島の若い頃のデビューまでの助走が濃い
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
スマイリー原島の若い頃の“後輩”として近づいた現場

スマイリー原島さん(本名:原島宏和さん)は熊本市に生まれ、福岡市で育ったとされています。
若い頃の大きな接点として知られるのが、俳優・ミュージシャンの陣内孝則さんとの関係です。
陣内さんと同じ西南学院高等学校の“後輩”で、陣内さんが「ザ・ロッカーズ」を立ち上げた際に、マネージャー兼付き人をしていた、というエピソードが記されています。
ここが面白いのは、いきなり“ステージの上”ではなく、“ステージを成立させる側”の目線も同時に体に入っていった点です。
ライブの段取り、現場の空気、対人の距離感。のちにMCやイベント制作へ広がっていく片鱗が、すでにこの時期にあったのかもしれません。
スマイリー原島の若い頃の1982年「アクシデンツ」結成

原島さんは、日本専売公社(現・日本たばこ産業)の九州支社に勤めていた時期があり、そこで顔見知りの音楽仲間に声を掛けられたことをきっかけに、1982年に博多でロックバンド「アクシデンツ」を立ち上げた、とされています。
さらに別資料では、1981年にローリング・ストーンズの全米ツアーを観に行った体験が“バンドをやる決意”を強めた、という流れも語られています。
仕事をしながらも心の熱が冷めず、仲間を集めて一気に動く。このスピード感こそ、「若い頃が熱すぎる」と言いたくなるポイントです。
スマイリー原島の若い頃のデビューまでの助走が濃い

アクシデンツは、メジャー以前からすでに足場を固めていました。
代表例が、1984年にリリースされた自主制作12インチ「Nite Time」です。
こうした“先に作品を出して、現場で鳴らして、反応を積み上げる”流れがあったからこそ、次の扉が開いたと考えると腑に落ちます。
そしてメジャーデビュー。
資料として明確なのは、1985年に徳間ジャパンからアルバム『HUMAN ZOO』でメジャーデビューした、という記述です。
(※同窓会サイトの紹介文では“1984年にメジャーデビュー”表記もありますが、作品名まで特定している記述は1985年説が強めです。)
その後アクシデンツは、計4枚のアルバムを残し1987年に解散したとされます。
ただ、若い頃の本当の収穫は“結果”よりも、この短期間で自主制作からメジャーまで駆け上がった経験値そのものだったのではないでしょうか。
まとめ
スマイリー原島(原島宏和)さんの若い頃は、熊本→福岡で育った土台の上に、陣内孝則さん周辺の現場でロックの空気を吸い込み、会社勤めを経ながらも1982年に博多でアクシデンツを結成、さらに自主盤の助走を踏んで徳間ジャパンからメジャーデビューへ――という“熱量の連続”でした。
この時期に培った「現場で鍛える」「人を動かす」「空気をつくる」感覚が、のちのラジオやイベント、そしてフェスMCへつながっていったと見ると、一本の線で繋がって見えてきます。
それでは、ありがとうございました!

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