初代林家三平さんの妻として知られ、エッセイストとしても多くの言葉を残した海老名香葉子さんが、92歳で亡くなりました。
本記事では、「結婚」→「おかみさんとしての支え」→「夫の死後に一門を守った歩み」の流れで、海老名さんと三平さんの“夫婦の物語”を振り返ります。
そこで今回は、
海老名香葉子の旦那との1952年の結婚
「おかみさん」は舞台裏のプロ
海老名香葉子の旦那の死後も一門を支え続けた
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
海老名香葉子の旦那との1952年の結婚

海老名香葉子さんが初代林家三平さんと結婚したのは1952年。
この結婚は、ただの“芸人と妻”という関係にとどまらず、落語家一家という大きな共同体に入ることも意味していました。
落語の世界では、師匠・弟子の縦のつながりが強く、家族ぐるみで門下を支える文化があります。
そこで重要になるのが「おかみさん」の存在です。
林家三平さんの人気が高まり、舞台・寄席・テレビと活躍の場が広がるほど、家庭の側でも支えることは増えていきます。
海老名さんは、表に出ない場所で生活を整え、周囲との調整役を担いながら、夫が“笑い”に集中できる環境を作っていったのだと思います。
「おかみさん」は舞台裏のプロ

“落語家の妻”は、家の中だけを守る役割ではありません。
弟子が増えれば増えるほど、稽古や相談、身の回りのケア、冠婚葬祭、関係者とのやり取りなど、舞台の裏側で発生する仕事が一気に増えていきます。
海老名さんは、そうした舞台裏で「一門の安心」を作り続けた存在として語られることが多いです。
とくに三平さんのように国民的な人気があった場合、家の中まで“公”の目線が入り込みやすく、線引きも難しかったはずです。そこで必要なのは、強さよりも丁寧な現実感。
家族の生活を守りながら、弟子たちの将来も考え、外部の人にも失礼がないように整える——その積み重ねが「おかみさん」の信頼を作ります。
海老名香葉子の旦那の死後も一門を支え続けた

三平さんが亡くなった後も、海老名さんは一門を支え続けたと伝えられています。
そして同時に、海老名さん自身の人生の核として強く存在していたのが、戦争体験と慰霊活動でした。
海老名さんは東京大空襲で家族を失った経験を背景に、戦争の犠牲者を悼み、平和を願う活動を続けてきました。
上野恩賜公園の「時忘れじの塔」は、海老名さんによって建立された慰霊碑として紹介されています。
“笑い”の世界を守る一方で、“忘れてはいけない痛み”も語り継ぐ——その両方を抱えた生き方が、海老名香葉子さんという人の輪郭をより深くしています。
なお、お別れの会は 2026年1月9日 午前11時から 寛永寺輪王殿 第一会場で行われると報じられています(変更の可能性があるため、直前は公式発表もご確認ください)。
まとめ
海老名香葉子さんと初代林家三平さんの夫婦は、華やかな“表舞台”の裏で、日常の段取りと人のつながりを積み重ねて成り立っていました。
結婚から始まった「支える役割」は、夫の死後も一門を守る力となり、さらに慰霊と平和への祈りへと広がっていきます。
笑いを守り、記憶をつなぎ、次の世代へ託した——その歩みを改めて胸に刻みたいです。

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