江藤愛の若い頃はどんな学生だった?アナウンサーになるまでの道のりを時系列で!

TBSの顔として情報番組から音楽番組まで幅広く活躍する江藤愛さん。

落ち着いた進行や、言葉選びの丁寧さから「もともと堂々とした人だったのでは?」と思われがちですが、本人は幼少期〜学生時代を振り返り、「人前に出ることが苦手だった」と語っています。

今回は、江藤さんの“若い頃=学生時代”に焦点を当てて、アナウンサーになるまでの道のりを時系列でまとめます。

そこで今回は、

江藤愛の若い頃の「人前が苦手」な幼少期〜中学期

江藤愛の若い頃の高校時代の「東京の大学へ」

江藤愛の若い頃の青山学院大学時代

3つの観点から迫っていきます。

それでは、早速本題に入っていきましょう。

目次

江藤愛の若い頃の「人前が苦手」な幼少期〜中学期

江藤愛さんは大分県日田市出身

公式プロフィールでも、出身地や学歴(高校・大学)が紹介されています。

本人のインタビューによると、幼い頃は目立つことが得意ではなく、恥ずかしさが先に立つタイプだったそうです。


それでも中学生になると、姉の影響で部活動(バレー部)に入り、勉強も「嫌いから好きへ」変化。

特に英語が好きで、当時は英語の先生も夢として考えていた時期があったと語っています

そして転機は中学3年。

テレビで見た木佐彩子さんの姿に心を動かされ、「堂々と話す」「英語で伝える」仕事としてアナウンサーを強く意識するようになります


“憧れ”が、はっきりとした目標に変わった瞬間です。

江藤愛の若い頃の高校時代の「東京の大学へ」

江藤さんの出身高校は大分県立日田高等学校

こちらも公式プロフィールに明記されています。


高校時代は「アナウンサーになるには方言を直したい」という思いから、早い段階で東京の大学進学を心に決めていたそうです。

学校生活では、バレー部のマネージャーをしたり、体育祭のチア活動に参加したりと、“裏方”や“支える側”にも強い関心があった様子が語られています。

一方で最も力を注いだのは受験勉強。

夏期講習で福岡まで通い、放課後も友人と残って勉強を続けた——まさにコツコツ型です。

しかし結果は、東京の大学は不合格

地元の国立大には合格したものの、夢を諦めきれず、親に浪人を相談

すると「やりたいようにやっていい」と背中を押してもらえたといいます。

上京していた姉と同居しながら再チャレンジし、ここで道がつながっていきます

江藤愛の若い頃の青山学院大学時代

江藤さんの出身大学は青山学院大学 文学部 英米文学科。TBS公式プロフィールでも確認できます。

大学では、英語の授業でレベルの高さに圧倒されつつも、「読む・書く」だけではなくコミュニケーションとしての英語を体で学んだ経験を語っています。

また、英文学の授業やゼミで「最初の一文が大事」「言葉の裏の意味を読む」といった学びが、のちの“伝える仕事”に直結している点も印象的です。

さらに大学2年次には、語学研修でオックスフォード大学へ行った思い出や、観劇体験が“今の自分の好き”の原点になったことも語られています。

そして、アナウンサー志望として大きな出来事が「ミス青山」準優勝

本人は当時、ステージでうまく自己PRできなかったとも振り返りつつ、“人前に立つ経験”そのものが大きな糧になったと話しています。


苦手意識を「場数」に変えていく流れが、ここで加速します。

就職活動は“アナウンサー一筋”。

学生時代はカフェとテレビ局でアルバイトをし、そこでの縁からTBSアナウンススクールに通い始め、大学3年次にTBSから内定を得たと語られています。

その後、大学卒業を経て2009年にTBSへ入社

ここから私たちの知る「江藤愛アナ」が本格的にスタートします。

まとめ

江藤愛さんの学生時代を時系列で追うと、目立つのが「最初から強い人」ではなく、苦手意識と一緒に歩きながら、準備で自分を育てていった人だという点です。


中学で憧れを持ち、高校で挫折と浪人を経験し、大学では英語・表現・現場経験を積み上げて内定へ——この積み重ねが、今の“安定感”につながっているのだと思います。

それでは、ありがとうございました!

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