福岡市・天神の一角に、半世紀以上にわたり紳士たちの身だしなみを整え続けた理容店があります。
その名は 「理容ミヤモリ天神店」。
創業から56年、プロ野球選手の稲尾和久さんや、ロイヤルホールディングス創業者江頭匡一さんなど、球界・財界の重鎮たちが足繁く通った名店として知られてきました。
店主は 貴島純孝(きじま・すみたか)さん、83歳。
「生涯現役」を掲げ、最後の日までハサミを握り続けた伝説の理容師です。
今回は、彼の人生と天神店の歩み、そして弟子に引き継がれる精神について深掘りしていきます。
そこで今回は、
貴島純孝の理容ミヤモリ天神店は天神に生まれた伝説のサロン
貴島純孝のポリオ乗り越えて真心で生きた職人魂
貴島純孝の理容ミヤモリ天神店の歩みは止まっても精神は受け継がれる
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
貴島純孝の理容ミヤモリ天神店は天神に生まれた伝説のサロン

1969年、北九州にルーツを持つ理容ミヤモリの天神店として誕生した同店。
当時の天神には理容店が20軒以上も軒を連ね、競争の激しいエリアでした。
その中で貴島純孝さんは、あえて 相場の2倍である1000円カットを設定する強気の姿勢を取ります。
なぜそれが可能だったのか――答えは徹底したサービスへのこだわりでした。
貴島さんは東京・帝国ホテルのサロンへ自ら足を運び、卵白パック、爪磨き、耳掃除、マッサージなど、当時では珍しいメニューを導入。
結果、「天神のダンディズムを率いた」と称される存在に。
店はやがて 著名人が集う隠れ家として名を馳せます。
常連の男性が「帰省の度に通った」と語るほど、ここには技術と居心地の良さ、そして紳士を迎える空気がありました。
貴島純孝のポリオ乗り越えて真心で生きた職人魂

貴島純孝さんの半生は決して順風満帆ではありません。
幼くしてポリオに感染し右足にまひが残り、戦後九州に引き揚げてからは障害者の職業訓練所で理容の技を学びました。
「寝る間も惜しんで働くお客さまに、少しでも癒しを届けたい」そんな思いで、ひとり一人の髪を丁寧に整え、“心まで整える理容”を信条としてきました。
プロ野球の稲尾和久さんは来店すると「お任せ」とだけ告げ、完全に身を委ねていたといいます。
創業者の江頭匡一さんからの依頼では、清潔感を重視した「ロイヤルカット」を考案。
社員もこぞって店に通うようになり、のちに江頭匡一さんが入院中に「最後に散髪したい」と願った際には、病室へ出向いてカットした心温まる逸話も残ります。
貴島純孝さんが大切にしてきたのは、技術以上に“真心”でした。
貴島純孝の理容ミヤモリ天神店の歩みは止まっても精神は受け継がれる

83歳となり、10年前の脳梗塞の後遺症から歩行が困難に。
それでも最後の営業日までハサミを握り続け、2025年12月27日、歴史に幕が下ります。
しかし、それは終わりではありません。
福岡市南区の「ドリームカミイシ」代表 上石茂さんをはじめ、各地で独立した弟子たちが、貴島純孝さんの精神を胸に活躍しています。
「どれだけお客さまから気持ち良かったと言ってもらえたか」それが理容師としての原点――。
技を磨き、心を尽くし、相手の人生にそっと寄り添う。
貴島純孝さんの“妥協なき姿勢”は、今も理容台の前で息づいています。
まとめ
福岡・天神で56年、多くの紳士たちの髪と人生に寄り添ってきた理容店「理容ミヤモリ天神店」。
店主・貴島純孝さんは、ポリオを乗り越え、サービスと真心でサロンを“特別な場所”に育てました。
店舗は幕を閉じたものの、その精神は弟子たちへ受け継がれ、未来へと繋がっていきます。
髪を整えることは、ただの作業ではなく、人の心まで整える行為。
貴島純孝という名前は、これからも福岡の美容文化の一部として残り続けるでしょう。
それでは、ありがとうございました!

コメント