「東京都出身なのに、なぜ長野県知事に?」――阿部守一氏の歩みをたどると、その答えは“学歴”よりむしろ、現場で積み重ねた行政経験と、長野に戻ってきた理由にありました。
ここでは、学歴→官僚キャリア→長野知事へ、の流れでわかりやすくまとめます。
そこで今回は、
阿部守一の学歴の原点は「国立で育った日々」
阿部守一の学歴は東大法
東京都出身の阿部氏が長野県知事になったのか
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
阿部守一の学歴の原点は「国立で育った日々」

阿部守一氏は東京都国立市で生まれ、インタビューでは「大学在学中まで国立市に住んでいた」と語っています。
つまり、小中高の多くの時期を“東京・国立”で過ごした人物です。
学歴として公に確認できる範囲では、
- 東京都立西高等学校
- 東京大学法学部(1984年3月卒)
が軸になります。
阿部守一の学歴は東大法

阿部守一氏は1984年に自治省(現・総務省)へ入省。
その後、国の仕事だけでなく、自治体や現場に近いポストを重ねていきます。
長野県公式の略歴でも、
- 2001年:長野県企画局長
- 2001年10月:長野県副知事
- 2004年:総務省 過疎対策室長
- 2007年:横浜市副市長
- 2009年:内閣府 行政刷新会議事務局次長
と、「国↔地方」を行き来する流れがはっきり出ています。
東京都出身の阿部氏が長野県知事になったのか

阿部守一氏にとって長野は“外から来た土地”ではなく、一度県民になり、いったん離れ、そして自分の意思で戻った土地だったからです。
本人は、長野との最初の出会いを
- 2001年の「転勤」で長野県民になった
- 企画局長・副知事として働いた
と語っています。
そして一度東京へ戻った後も、心の中に残ったのが「やり残した感」でした。インタビューでは、再び長野へ戻った理由として、
- 途中でいなくなってしまった心残り(仕事をやり残した感)
- 長野はポテンシャルが高く、都会にはない価値がたくさんあると感じた
と、かなりはっきり言葉にしています。
つまり「東京出身だから長野は縁がない」の逆で、行政マンとして長野の現場に深く入り、未完の仕事と地域の魅力に引かれて“戻ってきた”――このストーリーが、2010年の知事就任につながったわけです。
まとめ
阿部守一氏は、都立西→東大法学部という強い学歴を土台にしつつも、キャリアの核は地方行政の現場にあります。
そして東京都出身でありながら長野県知事になった決め手は、2001年の転勤で生まれた縁を、2010年に自らの意思で取り戻した点でした。
それでは、ありがとうございました!

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