映画コピーの巨人・関根忠郎さん逝く!東映黄金期を支えた言葉の力!

映画の魅力は、映像や音楽だけで決まるものではありません。


一枚のポスターに刻まれた「たった一行の言葉」が、観客の心をつかみ、作品の世界へと引き込むことがあります。


その“言葉の力”で日本映画を支えてきた惹句師(じゃっくし)・映画ライターの関根忠郎さんが、2025年11月11日、間質性肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました

87歳でした。


『仁義なき戦い』『トラック野郎』『極道の妻たち』など、東映映画の黄金期を彩った名コピーの数々は、今なお多くの映画ファンの記憶に刻まれています。

そこで今回は、

関根忠郎という惹句師の存在

関根忠郎の映画史に刻まれた名コピーの数々

関根忠郎の退職後も続いた言葉で映画を支える人生

3つの観点から迫っていきます。

それでは、早速本題に入っていきましょう。

目次

関根忠郎という惹句師の存在

関根忠郎さんは、元東映宣伝部員として、1997年に定年退職するまで、東映作品のほとんどの惹句を担当してきました。


惹句とは、映画の宣伝コピーのことですが、単なるキャッチコピーではありません。

作品の本質、登場人物の感情、時代背景までを凝縮し、観客の想像力を刺激する重要な役割を担っています

東映は関根さんを「映画の内容を一言で語り、成績を左右する惹句を生み出した伝説の惹句師」と評しています。

在籍時から他社作品の依頼が相次ぐほど、その表現力は高く評価されていました。


関根さんの惹句は、派手さよりも作品の“芯”を正確に捉える点に特徴があり、映画そのものへの深い理解があってこそ生まれる言葉だったと言えるでしょう。


関根忠郎の映画史に刻まれた名コピーの数々

関根忠郎さんの名を語るうえで欠かせないのが、数々の名惹句です。


1973年の『仁義なき戦い』では、「暗殺、裏切り、報復……」という言葉で、従来の任侠映画とは異なる非情で現実的なやくざ社会を強烈に印象づけました。

『トラック野郎 御意見無用』(1975年)では、「男の意地と汗・ほこり」というフレーズで、豪快さと人情味を併せ持つ主人公像を表現しています。


また、『鬼龍院花子の生涯』(1982年)の「愛に染まれば 女は狂女」という惹句は、短いながらも作品の核心を突く名コピーとして、今なお語り継がれています。

これらの言葉は、映画を観る前から観客の感情を揺さぶり、物語の世界観を瞬時に伝える力を持っていました。


関根忠郎の退職後も続いた言葉で映画を支える人生

1997年に東映を退職した後も、関根忠郎さんは惹句師としての活動を続けるとともに、映画ライターとしても精力的に執筆を行いました。


2012年の『あなたへ』や、2015年の『ブラック・スキャンダル』など、晩年に至るまで映画に寄り添い続けた姿勢は、多くの映画関係者に影響を与えています。

関根さんの言葉は、観客に説明を押しつけるものではなく、想像の余地を残すものでした。

その余白こそが、映画をより深く味わわせる要素だったのかもしれません。


まとめ

関根忠郎さんは、スクリーンの前に立つことはありませんでしたが、その言葉は常に映画の入り口にありました。


一本の惹句が観客の背中を押し、映画を時代の記憶として残していく――関根忠郎さんは、その力を誰よりも理解し、体現してきた人物です。

東映映画の黄金期を支え、日本映画の魅力を言葉で伝え続けた惹句師・関根忠郎さん。


その功績は、これからも多くの名作とともに語り継がれていくことでしょう。


心よりご冥福をお祈りいたします。

それでは、ありがとうございました!

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