女優として『ショムニ』や『おみやさん』で人気を博し、出産後も第一線で活躍してきた櫻井淳子さん。
現在18歳になる一人娘は、今や“親友”のように仲良しですが、実は小学校高学年の頃に**「本棚が壊れるほどの親子ゲンカ」**を経験するほど激しい反抗期があったといいます。
それでも今、母娘の仲は過去イチの良好。
なぜ櫻井さんは、あの嵐のような時期を乗り越え、娘と深い信頼関係を築くことができたのでしょうか。
この記事では、櫻井淳子さんが語った“葛藤と再生の子育て18年”を、温かいエピソードとともにまとめます。
そこで今回は、
櫻井淳子の子供を残して京都へ…女優としての葛藤と義母の支え
櫻井淳子の子供の反抗で気づいた失敗
櫻井淳子の子供と親友になれた理由
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
櫻井淳子の子供を残して京都へ…女優としての葛藤と義母の支え

櫻井淳子さんが本格的に女優業へ復帰したのは、娘さんがまだ1歳になったばかりの頃。
『おみやさん』シリーズの撮影はすべて京都のため、**平日は京都、週末のみ東京に帰る“単身赴任状態”**が4カ月も続きました。
まだ歩き始めたばかりの娘と離れる寂しさに、櫻井淳子さんは涙を堪えることもあったそうです。
そんなとき、献身的に支えてくれたのが義母と義妹でした。
- 義母は東京の自宅に泊まり込みで育児を担当
- 義妹も仕事終わりに毎日のように立ち寄り、義母を支える
- さらに、櫻井さんの心が折れそうな時には、義母が娘を連れて京都で一緒に暮らしてくれた
義母は「女性だって仕事を続けるべき。絶対に引退なんて考えないで」と背中を押してくれた存在。
櫻井淳子さんは、「あの支えがなかったら、今の私はいなかった」と振り返ります。
仕事と育児の両立は綺麗事では済まされない現実――それを支えたのは、強くて優しい“家族の愛”でした。
櫻井淳子の子供の反抗で気づいた失敗

順調に見えた育児も、娘が小学校高学年になる頃、大きな壁にぶつかります。
その原因は、櫻井淳子さん自身も認める**「過干渉」**でした。
帰宅した娘に対し、毎日こんなやり取りを繰り返していたと言います。
- 「学校どうだった? 今日は誰と遊んだの?」
- 「宿題見せて。ここ雑だから書き直し」
- 「習い事の時間だよ。早く準備して」
- 「外でトイレ困るでしょ。今行きなさい!」
“子どものため”のつもりでも、気づけば質問と指示の連続。
ある意味、娘の“自由”を奪う形になっていました。
やがて思春期に入った娘は限界に達し、ついに大爆発。
そして起きたのが――「本棚が壊れるほどの親子ゲンカ」。
携帯をめぐる攻防戦で取っ組み合いになり、腕をつかみ合い、大人顔負けの大乱闘。
夫が仲裁に入ると、なぜか娘が夫に怒り出すという“トライアングルバトル”に発展することもあったとか。
あまりの激しさに、櫻井淳子さんは初めて思ったといいます。
「もしかして私が娘を苦しめているのでは?」
その瞬間が、母としてのターニングポイントでした。
櫻井淳子の子供と親友になれた理由

義母の言葉や育児書を読む中で、櫻井さんは少しずつ「子どもにも任せる勇気」を学んでいきました。
- 「言いたい10のことを3つに減らす」
- 「嫌がるそぶりを見せたら深追いしない」
- 「完璧じゃなくていい。人間なんだから」
こうした小さな変化を積み重ねるうち、娘さんの態度にも優しい変化が現れます。
ある日、気づいたのです。
「娘の方から声をかけてくれるようになっている」
今では、映画・コンサート・推し活まで一緒に楽しむ“仲良し親子”。
娘がハマっているパフォーマンスグループのライブにも同行し、メンバーに声をかけてもらったときは、母として少し誇らしく感じたそうです。
櫻井さんはこう語ります。
「反抗期がなかったら、娘は娘でなくなっていたかもしれない」
「どれだけぶつかっても、最終的には受け止める覚悟があった」
娘が自分の意志を守るために“本気で反抗”してくれたこと。
母である櫻井淳子さんが、その声に向き合う勇気を持ったこと。
そのぶつかり合いこそが、今の深い信頼関係を生んだのです。
まとめ
櫻井淳子さんの子育ては、決して順風満帆ではなく、反省と葛藤の連続だったといいます。
- 仕事と育児の両立に迷い
- 過干渉で娘を追い詰め
- 本気のケンカで本棚まで壊れ
- 義母に支えられながら、少しずつ“手放す育児”を学び
- 気づけば、親友のように信頼し合う母娘へ
衝突があったからこそ、今の母娘の関係がある。
それは、全国の“子育てに悩む親”にとっても勇気をくれるエピソードなのではないでしょうか。
それでは、ありがとうございました!

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