世界的な日本食レストラン「NOBU」を展開し、セレブリティから愛されるシェフ・松久信幸(まつひさ・のぶゆき)さん。
しかし、その華やかな成功の裏には、どんな時も夫を信じて支え続けた妻・陽子(ようこ)さんの存在がありました。
本記事では、二人の出会いから世界進出まで、夫婦が共に歩んだ“挑戦と愛の軌跡”をひも解きます。
そこで今回は、
松久信幸の嫁は修業時代に出会った静かな理解者
松久信幸の嫁とペルーへの移住と試練
松久信幸のロサンゼルスでの再起と「世界のNOBU」誕生
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
松久信幸の嫁は修業時代に出会った静かな理解者

1949年、埼玉県で生まれた松久信幸さんは、幼い頃に父を亡くし、貧しい生活の中で母に育てられました。
若くして「料理で人を笑顔にしたい」と寿司職人の道へ進み、銀座の寿司店で修業を積む日々。
その頃出会ったのが、後に妻となる陽子さんです。
当時の松久信幸さんは、夢は大きいが収入は少ない青年。
しかし陽子さんは、そんな彼の真っすぐな情熱を信じ、厳しい生活の中でも寄り添い続けました。
「この人となら、どんな道でも一緒に歩ける」――そう感じた二人は結婚を決意し、未来への一歩を踏み出します。
松久信幸の嫁とペルーへの移住と試練

1970年代、縁あって夫婦でペルー・リマへ移住。
異国の地での挑戦は、想像以上に厳しいものでした。
言葉も通じず、食材も思うように手に入らない。
それでも陽子さんは、不安を口にせず、夫を信じ続けました。
松久信幸さんは現地の食文化を学び、ペルー料理と日本食を融合させる独自のスタイルを生み出していきます。
後に「NOBUスタイル」と呼ばれる革新的な発想の原点は、このペルー時代にあったのです。
その後、アルゼンチンへ移った二人でしたが、店が火事で全焼するという不運に見舞われます。
絶望の中でも陽子さんは、「もう一度やり直しましょう」と夫を励まし、ロサンゼルスへ渡る決意を固めました。
松久信幸のロサンゼルスでの再起と「世界のNOBU」誕生

ロサンゼルスに渡った松久信幸さんは、1987年に寿司レストラン「Matsuhisa」を開店。
ペルーで培った経験を生かし、伝統の日本料理に南米の要素を融合させた独自のメニューが話題を呼びました。
「ブラックコード味噌(銀ダラの味噌漬け)」や「イエローテール・ハラペーニョ」など、今や世界の定番となった料理がここで生まれます。
その味に魅了されたのが、俳優のロバート・デ・ニーロ。
彼の誘いでニューヨークに「NOBU」をオープンし、世界ブランドへと発展していきます。
松久さんはその後も世界各地に店舗を展開し、NOBUホテルなど多角的な事業を展開。
陽子さんは表舞台に出ることはなかったものの、家庭を守り、夫の成功を陰から支え続けました。
まとめ
松久信幸さんの成功の裏には、常に妻・陽子さんの支えがありました。
貧しい修業時代も、異国での苦難も、彼女の言葉と笑顔が原動力となっていたのです。
どんな華やかな舞台よりも、夫婦で支え合いながら歩んだその人生こそが、“NOBU”というブランドの真の土台。
――静かな理解と、揺るぎない信頼。
それが、世界を魅了する「味」と「物語」を生み出したのでした。
それでは、ありがとうございました!

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