2008年、「ぽっぽ、ぽぽぽ〜♪」のフレーズで日本中を席巻した鼠先輩。
一世を風靡したあの曲『六本木〜GIROPPON〜』から17年――。
現在52歳となった彼は、平日は「酒飲んで寝てる」と笑いながらも、今なお“ぽぽぽ”で家族を養い続けているという。
最高月収1200万円から始まり、月20万円まで下がった波乱の人生。
それでも折れない鼠先輩の「一発屋でも食っていける理由」とは何なのか。
そこで今回は、
鼠先輩が最高月収1200万がブレイクの頂点そして急転直下の現実
鼠先輩の営業だけで17年食べ続ける驚きの仕組み
鼠先輩の変わらぬキャラと“ぽぽぽ”への愛情
3つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
鼠先輩が最高月収1200万がブレイクの頂点そして急転直下の現実

2008年、デビューと同時に大ブレイク。
歌番組やバラエティに引っ張りだこ、睡眠時間もないほどの忙しさの中、わずか3ヶ月でピークを迎えた。
最高月収はなんと1200万円。
しかし、その後は急速に収入が減り、「気づけば月20万円台」という落差に。
それでも鼠先輩は焦らなかった。
「一発屋になることを前提にデビューした」と語るように、“ピークの後”を見据えていたのだ。
鼠先輩の営業だけで17年食べ続ける驚きの仕組み

現在の鼠先輩の主な収入源は、地方営業。
スナック、キャバクラ、競艇場、パチンコ店、屋形船など、呼ばれれば全国どこへでも飛ぶ。
営業の数は年間150〜200本。
12月の忘年会シーズンには平日も埋まり、全国を渡り歩く日々。
その多くは口コミとリピーターによるもので、「一度呼んだ人がまた呼んでくれる」「紹介でつながる」――
この“人との縁”を大切にしてきた。
誰にでも礼儀正しく、誠実に対応する姿勢が、一発屋を“一発で終わらせない”最大の理由だ。
鼠先輩の変わらぬキャラと「ぽぽぽ」への愛情

「パンチパーマはもう自分の一部」と笑う鼠先輩。
東日本大震災の節電時期に一度坊主にしたが、営業先では「誰かわからない」と不評だったため、再びパンチパーマに戻したという。
「キャラを変えれば残れる」と島田紳助に言われたこともあるが、あえて“鼠先輩”のままでいる。
ブームは過ぎても、自分のキャラとファンを大切にする――それこそが、彼が17年間“ぽぽぽ”で生き続ける理由だ。
まとめ
一発屋は消える、という通説を覆す鼠先輩。
「ぽぽぽ」ひとつで家族を養い、17年もの間営業を続ける裏には、誠実さ・礼儀・そして“愛されキャラ”がある。
彼が語った「反社以外ならどこでも行く」という柔軟さは、まさに人間関係の積み重ねによる“信用営業”。
ブームが終わっても、信頼があれば仕事は続く。
――鼠先輩の生き方は、現代の副業時代にも通じる“生き残りの教科書”かもしれない。
それでは、ありがとうございました!
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