女子アナファンの間で「高身長で知的、美人すぎるアナウンサー」として今も根強い人気を誇る小倉弘子さん。
2024年12月にTBSを退社し、フリーに転身した今、改めて“若い頃”の彼女がどんな道を歩んできたのかを振り返ってみましょう。
そこで今回は、
小倉弘子の学生時代からTBSアナウンサーになるまで
小倉弘子の若い頃の活躍と評価
結婚・出産と家庭との両立も
小倉弘子の50代を迎えての新たな挑戦
4つの観点から迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
小倉弘子の学生時代からTBSアナウンサーになるまで

小倉弘子さんは1974年9月4日生まれ、東京都江東区出身。
高校は京華女子高校、大学は東洋英和女学院大学の社会科学部に進学し、学生時代から人前で話すことに興味を持っていたそうです。
当時は区議選の“ウグイス嬢”を務めた経験もあり、その堂々とした声と話し方が、周囲からも注目される存在に。
また、日本テレビの人気番組『恋のから騒ぎ』にも出演していた経歴があります。
『ランク王国』や『筑紫哲也NEWS23』『おはようクジラ』など、幅広いジャンルの番組で活躍した小倉。’97年4月の入社以来27年間を過ごしたTBSでの女性アナ人生と、退社に至ったホントの理由を、2時間にわたり語った――。
出典:FRIDAY DEGITAL
そして1997年4月、見事TBSのアナウンサーとして入社。
同期には、今やTBSの顔ともいえる安住紳一郎アナウンサーがいます。
小倉弘子の若い頃の活躍と評価

小倉弘子さんといえば、なんといっても身長174.3cmというスタイル。
女子アナ界では非常に珍しい高身長で、小島慶子さんと並んで“TBSのツインタワー”と呼ばれるほどの存在感を放っていました。
入社後まもなく、朝の情報番組『おはようクジラ』や『はなまるマーケット』などに抜擢され、若手ながらも安心感のある進行力と知的な印象で人気急上昇。
さらに『筑紫哲也 NEWS23』ではスポーツキャスターとして活躍。
男性視聴者からも「美人アナ」として人気を集める一方、落ち着いたニュース読みで女性視聴者からの信頼も厚く、早くも“TBSのエース候補”と呼ばれるようになりました。
結婚・出産と家庭との両立も

2005年には元Jリーガー・水内猛さんと結婚。
美男美女カップルとして注目され、以降は家庭と仕事を両立する道を選びます。
2008年に第一子(長女)、2012年に第二子(次女)、そして2018年には第三子(長男)を出産。
3度の産休を経験しながらも、ラジオやテレビ、ナレーション、スポーツ中継などで地道に活動を続けていきました。
“子育てママ”としてのリアルな発信も増え、女性視聴者からの共感を集めたのもこの頃です。
小倉弘子の50代を迎えての新たな挑戦

2024年末をもって、27年勤めたTBSを退社。
2025年からはフリーアナウンサーとして再スタートを切り、自身のYouTubeチャンネル「miraiA」や、TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』などを中心に活動しています。
今後は、これまでの経験を活かして、ライフスタイルや健康、子育て、女性のキャリアに関する分野でもさらなる活躍が期待されます。
まとめ
小倉弘子さんの若い頃を振り返ると、アナウンサーとしての華やかさだけでなく、「信頼される存在」であろうとする姿勢が常に感じられます。
見た目の美しさに加え、地に足のついた発言、落ち着いたトーン、家族への思いやり――。
TBS時代から続くその“誠実さ”が、多くの人に愛されてきた理由と言えるでしょう。
50代を迎え、次なる人生のステージへと歩み出した小倉弘子さん。
その歩みから、同世代の女性やキャリアを模索する人たちに、たくさんの勇気を与えてくれるに違いありません。
それでは、ありがとうございました!
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