ゆりやんレトリィバァさんといえば、ピン芸人として活躍し、テレビや海外の舞台でも存在感を放っています。
独特のキャラクターと圧倒的なトーク力で多くのファンを魅了しています。
そんな彼女ですが、実は過去に「相方」として歩んだ短い期間があったことをご存じでしょうか?
その相方こそが、現在「紅しょうが」として活動する熊元プロレスさんです。
本記事では、ゆりやんさんと熊元プロレスさんの知られざるコンビ時代や、2人の間にあった貴重なエピソードをたっぷりご紹介します。
そこで今回は、
ゆりあんのNSCで生まれた出会いと「イナズマパンティーズ」結成のきっかけ
ゆりあんの消えなかった友情
ゆりやんの紅しょうが誕生の影にあった助言
3つの視点で迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう。
ゆりあんのNSCで生まれた出会いと「イナズマパンティーズ」結成のきっかけ
ゆりやんレトリィバァさん(本名:吉田有里)と熊元プロレスさんは、吉本興業の養成所・NSC大阪校の同期生です。
お笑いの世界を夢見て門を叩いた2人は、養成所での日々の中で自然と意気投合しました。
そんな中、コンビを組もうという話になり、「イナズマパンティーズ」というインパクト抜群のコンビ名を掲げて活動をスタートしようとしたのです。
紅しょうが・熊元プロレスさんと元相方のゆりやんレトリィバァさんのコンビ名は、イナズマパンティーズです。
出典:TAKESTOCK
養成所時代の2人の明るさや独特の世界観は、周囲の同期生の間でも「面白そうなコンビが誕生した」と期待されていました。
ところが、ここで思わぬ壁に直面します。
それは「スケジュールの不一致」でした。
お互いに学業やアルバイトに追われる日々、なかなかネタ合わせの時間を確保することができなかったのです。
初めてネタ合わせの日程を決めようとした時も、何度調整しても予定が合わず、ついに解散という結論に至ります。
2人はかつて「イナズマパンティーズ」というコンビ名で活動しようと決めた矢先、1度もネタ合わせをせず解散した経歴があるのだそう。
出典:fumumu
結果として、「イナズマパンティーズ」は結成からわずか数日で解散。ネタ合わせも舞台出演もない、まさに“幻のコンビ”となってしまったのです。
ゆりあんの消えなかった友情

「イナズマパンティーズ」が即解散となった後も、2人の間には友情が残りました。
不仲やトラブルが原因の解散ではなく、ただただタイミングが合わなかっただけのこと。
それゆえ、2人はその後もNSCの同期として、良き友人関係を築き続けました。
熊元プロレスさんが困った時、相談する相手の一人がゆりやんさんであり、逆にゆりやんさんも熊元さんのユーモアや温かさに支えられてきました。
テレビ番組や舞台裏では、今も互いをいじり合ったり、笑顔で会話を交わす様子が度々目撃されています。
芸人としての道は違えども、2人は同じステージに立つ仲間として、お互いをリスペクトし続けているのです。
ゆりやんの紅しょうが誕生の影にあった助言

幻のコンビ解散からしばらくして、熊元プロレスさんは新しい相方探しに悩んでいました。
そんな時、ゆりやんさんが「熊元プロレスちゃんって子がいるよ」と声をかけたのが、紅しょうがの稲田美紀さんでした。
この何気ない一言が、紅しょうが誕生の大きなきっかけになったのです。
紅しょうがはその後、女性芸人としてトップクラスの活躍を見せるようになり、M-1グランプリなど数々の舞台で爪痕を残しています。
熊元さん自身もインタビューで「ゆりやんちゃんの紹介がなかったら今の私はない」と語るなど、ゆりやんさんへの感謝の気持ちをたびたび表しています。
紅しょうが結成を後押ししただけでなく、2人の間にある信頼や友情が、今のそれぞれの活躍の原動力の一部になっているのかもしれません。
まとめ
ゆりやんレトリィバァさんと熊元プロレスさんは、一瞬だけコンビを組んだ「元相方」であり、そして今も続く深い友情の持ち主です。
幻に終わった「イナズマパンティーズ」の裏には、不仲やトラブルではなく、むしろ笑顔になれるエピソードが詰まっていました。
そして、その後の熊元さんの新しい道を後押ししたのもゆりやんさんだったのです。
別々の舞台で活躍を続ける2人ですが、これからも時に共演し、時に支え合う姿を見せてくれることでしょう。
2人の関係は、芸人仲間を超えたかけがえのない絆と言えるのではないでしょうか。
それでは、ありがとうございました!
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